50男の働き方改革~なるか、自営の道~

平成最後の31年4月末、30年近く勤めた会社を希望退職。再就職せず、生きることを目指す50男の記録

【自営業20】2週間近い通関手続きを経て、ようやく愛しの貨物を輸入

前回の書き込みで、10月23日に貨物が届くのが「23日から25日に延びた」ということを報告させていただいた後、ばたばたして報告が遅れましたが、10月25日に貨物は届きました!

 

しかし、恐れていた通り、通関手続きにおいて書類の不備を多々指摘されて、通関手続きが終わったのは2週間後近い11月5日でした。

 

父が入院している病院で、担当医師から父の病状を兄弟と一緒に聞いた直後でした。お願いしている通関業者から電話が入り、「食品検疫を通過した」「通関手続きも終わった」「あす朝いちで貨物を取りに行ける」と連絡が入ったのです。

 

通関完了までの2週間は、輸入元が輸出手続きを完了させるまでの間に覚えた「ほんまに輸出してくれるのか?!」という長い期間と同じ気分。「ほんまに通関できるのか」という疑念が心に貼りついて離れませんでした。

 

「ほんの少しのミスで貨物は廃棄処分」-というのが、私の心の中から捨てきれなかった思いでした。廃棄処分されたら150万円前後の損失だけでなく、ものすごく大きな機会損失が生じ、はっきりいって立ち直れなくなるくらいのダメージを受けたことでしょう。

 

税関による書類不備の指摘の中には、「嘘やろ」ということまでありました。「絶対、おかしい」。確実にそう言えることもあり、通関業者にぶーたれたこともありました。

通関業者はおおらかに受け止めて笑い飛ばしてくれたのですが、食品検疫の段階でもいろいろあり、通関できた日の直前にはこの歴戦の通関業者さえ「こんなしんどい通関は初めて」との嘆きの声までが聞かれました。

 

新型コロナの影響で、少なくとも航空貨物は減少しています。そういう状況にあって、税関職員らは「全般的に扱う貨物が少なくなって暇を持て余しているから、普段よりも時間をかけて(ねちねちと)チェックしている」。そんな声が輸入業務に関わったことのある人から聞かれましたので、還暦を超えた通関業者の嘆き節も当然だったのかもしれません。

 

とはいえ、通関手続きは済みました。

 

翌朝にはレンタカーのトラックを借りて一路関空へ。愛しの貨物を目にして、ほっとしました。

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事故にだけは気を付けて、走りました。そして、保管をお願いしていた大阪府内の倉庫に搬入しました。ほっとしました。

 

これでインポーター志願者ではなく、インポーターになれた、と思いました。

これでポーターだけでなく、インポーターにもなれた、と思いました。

 

非常にしんどかったです。

 

大阪でも最低気温が一桁になるなか、いまだに初荷さえ輸入できていなかったら、たぶん「死にたくなっただろうな」と思うのでした。

【自営業19】25日着に延期も、間違いなく届けられる!

今日23日午後2時前に関空到着予定だった初荷は、航空会社の都合で25日早朝着に変更になりました。ちょっと拍子抜けの感はあるのですが、週末は通関手続きができないので、通関を終えた初荷が倉庫に到着するのは「スムースにいって27日」というスケジュールに変更はありません。だから、これといって、困ることはありません。

 

それよりも、良かったのが、お願いしているフリーの通関士の方から投げかけられていた「保税倉庫にまでもっていく会社が本当にわかっているのか」という疑問が解消できたことです。

 

航空会社からは関空で荷物を受け取る会社を聞いていたのですが、通関士の方によると「荷物を受け取る会社」と「荷物を倉庫に入れる会社」が違うケースがある、とのこと。Air B/L(Air Waybill)という、荷物をどの便にどんだけ載せているかを示す書類があるのですが、ハンガリーの輸入元から送られてきたAir B/Lには「荷物を受け取る会社」も「荷物を倉庫に入れる会社」も記されていませんでした。

 

通関士に言わせると「普通、ちゃんと記されている」「こんな情報の少ないB/Lは初めて」。航空会社に直接聞いて判明した「荷物を受け取る会社」に関しても、「その会社が荷物を倉庫に入れるかどうかはわからない」と脅されました。

陽気な方なので、電話の向こうで聞こえる笑い声に救われたというべきか、なんというべきか。結果的に「荷物を受け取る会社」と「荷物を倉庫に入れる会社」が同じだったので、通関手続きにまで進められることは確実になりました。

 

あとは書類の不備などを税関に指摘されることなく、通関できるかどうか。これは、運を天に任せる気分です。

 

そんな状況のなか、ウーバーをやっていると、頭の中に海援隊の「贈る言葉」のフレーズ、「信じられぬと、嘆くよりも 人を信じて、傷つく方がいい」が繰り返し流れました。

 

そう、半月ほど前までは、いろいろ疑い、ぎりぎりのところまで来ましたが、なんとか踏ん張れました。信じる道を捨てないで来ました。これからも、あらゆる可能性を踏まえつつ、やはり「信じる」ことに重きを置いて取り組もうと思っている次第です。

【自営業18】いよいよ、来るのか!

 

苦節8年-とでも言いたくなるほどの長い時間でした。

 

昨年4月末に退社して失業の身となってから1年半。ハンガリーの食料品の輸入を目指して本格的に動くことを決め、会社の代表取締役になった11月からは、ほぼ1年。そのころや年始あたりまでは今春には輸入できると思っていたから、想定輸入開始時期から数えても半年の時間が経過しました。

 

これだけの時間が経過したのは、私のミスもありますが、やはり新型コロナの影響も大きかったと言えるでしょう。なんといっても、3月下旬以降は現地との行き来ができなくなったのですから。本来なら、ハンガリーに行って、確認したい作業がリモートでしかできないというのは、なかなかつらいです。

 

母語ハンガリー語と日本語。私は英語が苦手とくれば、「あー」といった感じです。間に入ってくれていた現地在住日本人の不興を買ったのは、私のミスです。私のビジネス感覚のなさ故の所も多々ありますが、6月ごろに現地に行けていればあそこまでの距離の広がりにはならなかったのではないかと思います。

 

幸い、現地在住の日本人が8月下旬に帰国し、なんとか距離を縮めることができ、輸入元との意思も通じるようになりました。結果、ようやくすべての手続きが終わり、ハンガリーから関空に初荷が向かっています。

 

今日10月21日時点は経由地のドーハで関空便待ちをしており、23日午後に関空到着予定です。きちんと通関できるのか、といった不安は多々あるのですが、たぶん大丈夫でしょう。高を括りすぎると良くないのでしょうが、不安にばかり取り付かれても気を病んでしまいます。だから、とりあえず、「23日に初荷お目見え」ということにしておきます。

 

本来なら苦節1年程度のところ、なぜに「苦節8年」とまで言いたくなるのか。それは金銭的問題です。今年3月までは無給、国保国年で過ごし、輸入元の会社のオーナーからOKをもらって「いよいよ輸入できるぞ」となった4月から、額面10万円の給料をもらい始めました。

といっても、この10万円はもともと自分のお金です。そして、売上がたっていないから、会社のお金は目減りするばかり。10万円の給料では家族を養っていけないから、早期退職金で積みあがった個人口座の残金もどんどん減っていく。

だから、第一次防衛ラインを突破され、手を付けたくなかったお金にも手を付ける羽目にもなりました。

 

ここには記していなかったと思うのですが、出資型クラウドファンディングをやって目標の700万円を集めました。とてもありがたく、「この商材行ける」と思えたものですが、年内に輸入できなければ「契約は未成立」となり、700万円はそっくり出資者に返還しなければなりません。クラウドファンディング会社に支払った手数料80万円はまるまる損金です。

 

9月6日記した 【自営業13】第一防衛ライン突破され、ウーバー発進!に記したとおり、ウーバーを再開させたのも、700万円返金のためには、会社と個人の資金を合わせてもギリなところになってきたからです。

 

果たして初荷はちゃんと届くのか。ちゃんと通関できて、倉庫に届くのか。

やはり、不安です。

 きょう、久しぶりに高橋優の「虹」を聞きました。

まあ、あかんでも、また立ち上がろ!

【自営業17】時代と新聞少年とウーバーと

NHKを見ていたら、音楽番組になりました。

三山ひろしが出演。子供のころ、5年間にわたって新聞配達をしたと。母子家庭で祖父母と弟だったかと5人家族で暮らすなか、部活でしていたサッカーのもろもろのものを買うために新聞配達を始めたという話でした。

三山ひろしは高知出身。私の母親の両親が高知出身のため、親近感をもって見ていたのですが、新聞配達を5年もしていたとは、知りませんでした。

 

私も高校のころに新聞配達をしようかと考えたことがあったのですが、「無理」と思ってあきらめ、2週間ほどだけ、午前5時ころから2、3時間程度の中華そば工場で働いたことがありました。なんとなく、いい思い出です。

 

そんな、三山ひろしが歌うのが、昭和40年にはやった「新聞少年」。山田太郎という人が歌っていたとのことです。私のまったく知らない、記憶にない人でしたが、すごくいい選曲に思えました。

 

すでに何年も前から、新聞配達をする少年なんて、いないでしょう。労基法でやられるし、そんなバイトをさせる親もいないでしょうから。いまや新聞配達は、コンビニ店員同様、外国人に頼る時代です。

 

昭和40年と言うのは、私が生まれる1年前。隔世の感を覚えつつ、「山田太郎さんってどんな人なんだろう」と思っていたら、山田太郎さんがスタジオに現れました。矍鑠(かくしゃく)なんてものではありません。壮年の体です。ウィキによると、昭和23年年生まれの72歳。当時、16、7歳。驚きました。爆発的ヒットをさせて55年経った人には見えません。「こんな年の取り方があるのか」と驚かされました。

 

「僕のアダナを知ってるかい 朝刊太郎というんだぜ」

そんな感じで始まり、「今朝も出がけに 母さんが苦労かけると 泣いたっけ」「たとえ父さんいなくても ひがみはしないさ 負けないさ」と続きます。

 

まさしく、三山ひろしの境遇そのもの。

そして、三山ひろしがもっとも気に入っていた部分が「たとえ父さんが・・」に続く「新聞配達 つらいけど きっといつかは この腕で つかんでみせるよ でかい夢」という3番目の最後の歌詞でした。

 

そのまんまですね。

すごいですね。

 

三山ひろしは中学1年の時から新聞配達を始めたそうです。

私、53にしてウーバーを始め、54にして本格的に始めています。

まだ両親は存命ですが、残り火はきわめてか細い感じです。

似てないといえば似てませんが、そう「でかい夢」はあります。

 

「何が言いたいか?」

 

そう。時代は、中島みゆきが歌ったように、めぐるのです。

「いまはどんなに悲しくて、涙が枯れ果てて、もう二度と笑顔にはなれそうもないけど~」

 

そのうち、涙枯れ果てた今が、「そんな時代」になるのです!

 

 

 

【自営業16】シェリーを歌いながら、初荷を待つ

ほぼ1カ月休みなしでウーバーイーツを続けた前日の10日(土曜日)、本格的にウーバーをやり始めて初めて乗らない日となりました。前の会社の人に誘われて、神戸で昼から飲み会があったからです。

参加したのは、私を含めて元社員5人と現役1人。62歳を最年長に54歳の私が一番若いというおっさん6人の飲み会。ウーバーで日銭を稼いでいるので、飲み代はそれほど気になりませんでした。

 

中華街の餃子屋さんはたらふく餃子を食べて、ビールと紹興酒を飲んで1人2200円。「安っ」との声が上がりました。2件目は持ち込みOKのジャンカラ。今年1月にも同じ感じの飲み会があったので、慣れたもの。コンビニで鬼檸檬と赤ワインとトリスと乾きものを買って3、4時間歌い、飲み、話して、1800円。締めて4000円。前日の雨の日は5時間で9000円稼げたので、まだ十分に残っている。

というわけで、夕方にさよならしてから北新地のなじみのバー2軒に顔出し。

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2杯程度ずつ飲んで、交通費込みでほぼ前日分の稼ぎ9000円を使って家に帰りました。足が出ないという健全な支出です。飲み方は不健全なので、地下鉄で乗り過ごすというハプニングはありましたが。。

 

ハンガリーからの輸入については、実は金曜日の段階で少し動きがありました。私が口を酸っぱくしてメールしてくれるよう求めていたブツの写真が、仕入れ先の人から送られてきたのです。この写真によって、私向けに作業をしていることが明確になりました。

ほぼ間違いなく送ってくれる。そう思えるのですが、先方は事務作業が苦手な人。原産地証明とかなんとか、こまごましたことをきちんとやってくれるかどうかがまだまだ心配です。何より、「送る送る詐欺の途中」という疑念が100%拭えているわけではありません。

 

そんな不安があるなか、ジャンカラで歌った曲の1曲が尾崎豊の「シェリー」。ウーバーやりながら、ここ最近よく頭の中に響いていた曲です。

「あの頃は夢だった。夢のために生きてきた俺だけど、シェリー、おまえの言う通り、金か夢かわからない暮らしさ」

「俺は転がり続けて、こんなとこに辿り着いた」

「いつになれば、俺は這い上がれるだろう」

 

今までで一番熱唱できました。

 

追記 熱唱中の時間帯、仕入れ先からはインボイスやパッキングリストが送られてきていました。これでほぼ100%「送る送る詐欺」の可能性は消えました。でも、AirB/Lという書類がまだ来ないんです。ロシアやフランスに輸出しているから「輸出作業は手慣れたもの」と思っていたのですが、そうでもないのかな~

【自営業15】ウーバーのメリデメ。週4万円より大きいものは!?

ウーバーイーツを本格的にやり始めて今日で3週間あまりが過ぎました。前回は本格的にやったら、「3万円超稼げた」という話を記しましたが、翌週は4.3万円、今週は月曜日の出だしが用事で1回乗車の400円程度だけだったにも関わらず、4万円稼げました。

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これで、収入がないことによる失血死をまぬかれることができます。

これは大きなメリットです。

 

次に大きなメリットが健康、体力向上です。

50半ばにして体が絞れました。

コロナ以降、「コロナに負けルナ」ということで週1,2回目標の筋トレ的なことを毎日し始めたことは以前に記したかと思います。これによって体は絞れていたのですが、これに加えてウーバーを始め、「空気を吸うように」続けることでさらに体が絞れています。

もともと体重はそれほど変化しない方ですが、この10年ほどは63キロ、64キロが常態化。学生時代にはあった60キロを切るなんてありえなかったのですが、銭湯で測ったら59.35キロでした。

 

「もしかして俺、若返ってるんちゃうん?!」

 

なんてことまで思ってしまう始末。でも、健康寿命が伸びていることは確実です、事故にさえ遭わなければ。。

 

3つ目のメリットは意外とウーバーって、いろんな人に興味を持たれること。少なくとも馬鹿にされる感じの印象を受けないで済むことです。

前の会社を同時期に辞めた先輩は、バーなどのwebサイトの制作を手掛けているのですが、クライアントが次々に現れるわけではありません。この先輩、最近体調を崩していたそうで、私の「ウーバーやってる」の書き込みに対し、「俺も健康やったらやってるんやけどな」と書いてこられていました。

 

飲み屋でも割と受けます。バーテンダーも割と生きるか死ぬか、伸るか反るか、景気に左右されやすい商売をしているので、他人のサバイバル戦術は気になるものなのでしょう。今はコロナな時代ですから、「明日は我が身」に近いものもあるはずです。

 

4つ目は以前も記したお店の人やお客さんとのちょっとしたやりとり。カレーのココ壱番屋で、バイトの女子高校生にやさしくしてもらったことは以前記したと思います。そんなことはあまりありませんが、それでも若い店員とほんの短い間でもやりとりできることは悪い気分のすることではありません。

商品をお届けする際にも、その人たちの生活を少しだけですが、垣間見ることができます。一度だけですが、「どうぞ」とトマトジュースを渡されたことがあります。まだ残暑厳しい折で、すぐに飲み干しました。「無塩じゃなかったら、もっとよかったのに」と不埒なことを思いながら。

 

もちろん、いつでもできることも大きなメリットです。

「縛られない」

これほどありがたいことはありません。

輸入事業関連のあれこれも、(いまはすることがほとんどないわけですが、)ウーバーだからちゃんとできます。

 

で、デメリットはなんでしょうか。

周囲の目が気になることは、確かにあります。

同じマンションの住人から「あの人、ウーバーやってる」と思われるのはあまり好ましいことではありません。ただ、運が悪ければ、「あなたもいつかはウーバーメイト」なんて心の中で思ってれば、さほど気になりません。

なんといっても、上記したようなメリットがあるわけですから。

 

その他のデメリットは、あまり感じません。

やはり、無為に過ごすしかない時間をお金に換えられるというのは、すごくありがたいことです。ましてや、その金額が月10万円を余裕で突破できるとなれば、言うことはありません。私は今、「4万円目標、3万円死守」を信条にやってます。月10万円は楽勝です。

 

でも、最大のメリットはお金でも、上記したことでもないのです。

 

「いやなことを考えないで済む」

 

これが最大のメリットです。

 

「いつ、輸入できるのか」

 

ハンガリー仕入れ先に問い合わせても、うだうだした回答しかない。在ハンガリーの日本人協力者も同様。

 

「訴えたろかな」

 

そんな鬱々とした気分になりがちな状況にあってもウーバーがあれば、大地真央よろしく「お客さんが待ってはる」、です。

 

【自営業14】インポーターになるつもりが、単なるポーター!?

表題の通りです。

良いことと言えば、良いこと。

悪いことと言えば悪いこと、です。

輸入がなかなかできません。

輸入に向けたこちら側の手はずが整ってから、今日で丸2カ月経とうというのに、ハンガリーサイドの動きが鈍く、まだ輸出手続きが完了していないのです。

 

だから、本気でやり始めてしまいました、ウーバーイーツ。

そしたら、割と稼げることに気づきました。

初日の先々週日曜日は夕方の3時間半で3千円余り。

悪くない出だしでした。

 

この日は配る前に次の配達依頼が入る連荘が7回続きました。ですので、これからもそれくらい行くかと思っていましたが、そうは行きませんでした。中4日後の金土日の週末はほとんど連荘なし。待ち時間があほらしく、悲しく、少しめげそうだったのですが、それでも3日間で7600円稼ぐことができました。

 

スーパーの朝の品出しバイトさえ落ちた身としてはありがたい金額です。バイトでさえ、「じゃあ、明日からお願い」なんてことはなく、何週間後からの出勤になります。そして、たいていはローテーションが決められる。そんなことを考えると、いつでも好きな時にできて、好きな時に止められるウーバーイーツはすばらしくありがたいバイトです。

 

そして、先週月曜日から本気で始めました。

午前11時~午後2時と、午後6時~午後9時をコアタイムとして乗り始めました。

そしたら、火曜日には4千円超え、木曜日には5千円を超え、金曜日にはなんと1日で7千円を超えたのです。土日は今一つでしたが、月~日の7日間でなんと34,827円も稼げてしまいました。

癖になりました。

 

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もちろん、今日祝日の月曜日も午前中から走り始めました。

好天に恵まれた秋晴れの日。街中を走るのはなかなか心地いいものです。

今日は午後2時半までに6回乗って3100円余り稼げました。

目標は昨日日曜日の少なさを挽回するために7千円。

頑張ればいけるような気がします。

1週間の目標は34,827円超えです。

 

ここまで稼げるようになったのは、配達依頼が多い時に配達料金が1.1倍や1.3倍になる「ブースト」、配達何回で何円というインセンティブである「クエスト」、そして現金払いのおかげです。昨年6月当たりでしたか、ウーバーイーツを久しぶりにやった際は「クエストがなくなった」と思っていたのですが、どうも続けていないとクエストが発生しなくなるようです。ブーストもそうなのかもしれません。

 

今はトータルの配達回数が100回を超えたからなのでしょう、現金払いも受け付けられるようになり、配達依頼を受けるチャンスが広がりました。また、家がモールの近くにあり、モールにあるいくつものお店から家にいながらにして配達依頼を受けられるのも大きなメリットです。家で本業関連の作業をしながら配達依頼を受けられるのです。このモール内店舗からの配達は、ブーストで1.3倍になることが多いのでなおさらです。

 

週3万円を稼げたら、月12万円。スーパーの朝の品出しバイトは3時間で3300円ほどだったはずなので、週5回出ても6.6万円にしかなりません。ウーバーの圧勝です。

「落としてくれて、ありがとう」

スーパーさんに、そう言いたいぐらいです。

ポーター万歳!!

 

【自営業13】第一防衛ライン突破され、ウーバー発進!

エヴァンゲリオン、発進」

アニメにも漫画にも接したことがないのですが、パチンコではよく打ったエヴァンゲリオンの台。派手なアクションとともに「エヴァンゲリオン発進」という気合の入った発声があり、割と気に入ってました。大長寿パチンコ台・海物語の次にやってたかと思います。もう10年以上前の話ですが。。

 

エヴァンゲリオンに助けてもらわないといけない気分になっているのは、貯金が底を尽きかけているから。別の財布がないわけではないのですが、「勝負するのは、300万円まで」との誓いはとうの昔に破られ、今月下旬には第一防衛ラインの貯金が尽きる。だから昨日、別の財布から用立てしてしまいました。

 

先月は3.6万円分のライティングの仕事が入り、今月は5.4万円分のライティングの仕事があります。久しぶりのライティングの仕事、ありがたいことです。とても助かります。しかし、足りません。

 

で、エヴァ発進よろしく、ウーバー発進です。

 

きょうは台風10号が九州に接近。九州の方々、特に熊本の方々には申し訳ないのですが、大阪は割と好天だったので、午後5時半に1年半近くぶりにウーバーをやりました。オンラインにしながら、ミナミ方面を目指していると、配達依頼の音がなってキャッチ。「なんだ、取りに行く店、家の近くやん」と思いながらも、ありがたく受けてから7連荘。配達が終わる前に次の配達依頼が入り、2時間半にわたって自転車をこぎ続けました。

 

最近、「コロナに負けルナ」ということで、そして「輸入できるまでは」との気合の下、毎日スクワットなどをしているので、2時間半の自転車行もへっちゃら。久しぶりに楽しく配達できました。7回配達して3050円。どうせ家にいても、家族はだれも家に戻っておらず、今日中に絶対的にすべきことはし終えていたので、ぼーっとテレビでも見るしかない時間でした。その時間で3050円を稼げたのはよかった。スーパーのバイトにさえ不合格となったことを考えると、とても幸せないことです。

 

そういえば、少しうれしかったことがありました。それはカレーのココイチに取りに行った時のこと。「配達用のカレーができるまで少し時間がかかるので、店内で待たれますか」と言ってくれたのです。「暑いから、甘えます」と言ったら、お水まで出してくれました。

 

7回目の時は本降りの雨となり、わりとぴちょぬれになってビッグボーイに向かったのですが、その際は「お気をつけて」との声かけとともに見送ってくれました。ともに、若いバイトの女の子。「女の子って優しいな」って思うとともに、こんな声かけ、ウーバーでもやらん限り、なかなか受けられへんよなって。。そう思った次第でした。

 

この次にウーバーをやった際には、1年半前とは変わったシステムについても記します。よろしくお願いします。

【自営業12】ジェットコースター中に流れる歌

前回の書き込みからはや2カ月以上。お察しの通り、報告できることがないために空白期間が長引きました。書き込んでいるいまこの時も、これという朗報はありません。

「さすがに、そろそろ書かないとな」という義務感からの書き込みです。

 

この数日、頭に流れてくる曲が立て続けに変わりました。

 

最初はガッチャマンの主題歌。「地球は一つ、地球は一つ」というあの歌です。

ハンガリーからの輸入に向け、ボトルネックになっていた課題で少し話が進んだことがあったからでしょう、床に就いた際に流れてきました。

「地球は一つ」なんだから輸入できない筈がない。

そんな気持ちがこの曲の流れてきた理由なのでしょう。

 

しかし、翌日、日課の散歩の最中に聞こえてきたのは「カナダからの手紙」。「あなたの声を 想い出して カナダの夕陽 見つめています」。ハンガリーへの片思いです。

そして、今日は「シャボン玉」。「シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた」「風 風 吹くな シャボン玉 飛ばそ」。壊れてしまいそうです。

 

事業とは博打。しかし、ここまでジェットコースターとは正直思いませんでした。そして、スリル満点のジェットコースターの料金が高いように、このジェットコースターの料金も高い。そろそろ決着の時です。

【自営業11】倉庫が見つかった! 「やってみなはれ」の深さ

ハンガリーからの商材を輸入販売するにあたって最後まで残っていた懸案は、倉庫と配送の問題でした。それがひょんなことから、解決しました。通関をお任せできる人もひょんなことから見つかった感じでした。そんな経緯から、「やってみなはれ」「やらなわからしまへんで」という言葉に、これまで思ったことのなかった深みを感じ始めています。

 

もともとが徒手空拳で取り組み始めたハンガリーからの輸入販売事業。仕入れ先の人と交渉して、サイトも作ってもらって、売り先のルートも考えて、通関できる人も何とか探して、食品検疫もクリアできる見込みが立って、それでも残っていたのが倉庫と配送の問題でした。

 

ワンルームマンションを借りてクーラーをかけまくっての冷蔵、コンテナ冷蔵、プレハブ冷蔵庫を借りての保管、最後は家の近くで木造賃貸を借りてクーラーで冷やすことも考えました。木造賃貸はつい10日ほど前に下見をさせてもらって、「なんとか行けるか」という感じになっていたのですが、その日の午後、ある会合に参加して出会ったインポーターに倉庫屋さんを紹介してもらえ、そこに決めることができたのです。

 

倉庫はもちろん、冷蔵可能です。配送もお願いできるうえ、その配送料も個人で頼むより安いのです。この倉庫屋さんはいろんな業者の商品を扱っているので、運送会社にとっては大口のお客さんです。だからこの倉庫屋さんから出す商品の配送料は、大口向けのディスカウントが効いているので、個人で頼むより大幅に安くなるのです。つまり、倉庫屋さんに支払う梱包などの手数料は配送料のディスカウントで行って来い。「自分で梱包して運送会社に来てもらって渡して」といった作業が不要になるうえ、えっちらおっちら作業してお願いする配送料が、倉庫屋さんに頼んだ時の配送料+梱包等手数料と変わらないのです。いや、配送料+梱包等手数料の方が安いくらい。。。

 

しかも、保管料は木造賃貸住宅の賃料よりも安い。賃貸住宅に必要な敷金礼金も不要です。さらには、倉庫業としてやっているので、冷蔵機能も完璧で、安全・安心です。盗難の心配もまずない。いいことだらけです。

 

半年間にわたって試行錯誤し続けた倉庫・配送問題が、かくも見事に解決するとは。我ながら驚きです。通関をしていただける人はよく通う店のバーテンダーの紹介でした。バーテンダーが会社員時代に知り合ったフリーの通関業者を紹介してくれたのです。今回の倉庫は大学の同期の紹介から始まった伝手ですが、その同期の旦那さんは私の通うバーのバーテンダー。そのバーのお客さんを紹介してもらい、そこから倉庫屋さんを紹介してくれたインポーターにつながりました。

 

通関も、倉庫も、事業に取り組み始めたころにはどうやっても、見つかりませんでした。正攻法で「業者に電話して」という方法ではなかなか埒が開かなかったのです。それがこんなつながり、酒場つながりで解決しようとは。今でも不思議なのですが、そこは「やってみなはれ」「やらなわからしまへんで」にある深い含意に導かれたのかとも思うのです。

 

「やってみてダメだったら、また一からやり直せばいい」「やらないことには、うまく行かないか、うまく行くかなんて絶対にわからない」。これまではそんな意味でとらえていましたが、この言葉はどうもそれだけではなさそです。つまり、「やってみるうちに、うまく行くかどうかが見えてくる」という含意があるように思えてきたのです。

 

「筋のいい話には、助っ人が現れる」といった感じでしょうか。

 

前回、ハンガリーからの商材に2つの引き合いがある旨を記しました。これはまだ、「千三つ」の域を出ていませんが、この「いい流れ」からすると、うまくいくかも。しかも「落とし穴」なしで。

 

「コロナの上に梅雨」という、うつうつとした日々。 そんな妄想を楽しみながら過ごしています。。

 

【自営業10】いろいろと話が来る。千三つなのか?!

 前の仕事をしていた折、エネルギー業界に接する機会があり、「せんみつ」という言葉を聞きました。原油を掘り当てるのは「1000本掘って3本当たるかどうか」という意味で使われていました。それほど当てるのが難しい。めったに当たらないから、掘り当てた油田は大切にしないといけない。そんな文脈で聞いたのかと思います。そして、今、なぜか私が扱おうとしている商材に引き合いのようなものが来て、「あれ? この商材って、もてもて!?」と思う状況にあるのです。

 

 ハンガリーからの輸入準備でわりと忙しく、最近は書く仕事をほとんどできていないのですが、書く仕事でもかつて複数の話が持ちかけられました。また、こちらからアプローチしたこともあります。

 前に務めていた会社の関係で持ちかけられた話は実際に契約に至り、今もたまに依頼が来るのでわりと確率よく仕事につながっているといえます。でも、「やりましょう」となったのに、ぼしゃったものもあります。そして、そこに心が残ります。

 ぽしゃったうちの1つは、久しぶりに参加したある団体の飲み会で知り合った男性から持ちかけられました。「社史を作りたいので協力してくれ」と言われたのです。この男性はもともと印刷関係で仕事をしており、社史をつくる会社も社史の中身もわりとおもしろかったので、「やりますよ」と答えました。

 その男性はほかの人にも声をかけ、昨秋ごろに4人集まって焼き肉屋で気勢を上げたのですが、その後は音沙汰なし。どうも日銭稼ぎが必要で頓挫してしまったようです。まあ、仕方ないです。

 もう一つのぽしゃった話は、フリーペーパーの発行者に私の方からアプローチして持ちかけた話です。途中までは先方も乗り気だったのですが、途中で降りられてしまいました。この方はずっと1人でフリーペーパーを発行してきており、売り上げが低いとはいえ、利益が確実に出る仕組みができていました。新たなことをするのに「怖気づいた」印象でした。やむを得ないと思いました。

 

 だから、話がうまくいってるように見えても、「下駄をはくまでは勝負事はわからない」のと同様、「話が決着するまではゼロになる可能性100%」ぐらいに思っておかないといけないのだろうと思っています。

 半年たってもまだ決着していない話もあります。これも本づくりの手伝い案件です。あることをテーマに複数の起業家にインタビューして記事をまとめるというものです。半年ほどたっても決着しないのは、新型コロナの影響もあって出版社とのやりとりが長引いているためです。理由がはっきりしているので、これは今でも受けられたらいいなと思っています。ハンガリーからの輸入事業にいい影響がありそうなことも受けたい気持ちを強くさせています。

 

 前段が長くなりましたが、まだ輸入できていないハンガリーの商材に対して2つのルートから話が来ました。ともに、協力してもらっている在ハンガリーの男性ルートです。この男性は非常に信用ができる人なので、両方にアプローチしたところ、パクっと食いついて来てくれたのです。

 ただ、1つは非常に怖いです。話を持ちかけてきた会社は、新たにいい輸入商材を探していたところ、私の扱う商材を仕入れたいとなったというのです。ですが、この会社は現金を億単位、10億単位でもっている不動産屋です。「話にパクっ」どころか「私の会社そのものをパクっ」「私の仕入れルートもパクっ」とされそうな怖さがあるのです。

 もう一方は、ちゃんとした会社です。これはもしかしたら、普通に商談を進めることができ、商材を気に入ってもらえたらそれなりの分量を輸入してくれそうです。売れ行きが良ければがんがん輸入してくれる。そんな期待ももてる会社です。

 

 さて、どうなるか。

 

 もともとが小さい商売から始めようと思っていましたので、両方がぽしゃっても元に戻るだけの話です。これらの話が「千のうちの三つ」に入れば言うことなしですが、997の方に入っても「恨みっこなし」。それくらいの気持ちはもてるのですが、「仕入れルート」をいかれたらすべて終わり。

 商売という博打はしびれますね。黒川某も、麻雀やらずに商売やったらよかったのに。公務員は副業禁止だけど。。

 

【自営業9】 家で働き、父娘ともに互いの姿が見えてきた。

 長女の在宅勤務が増え、大学4回の次女の外出機会が激減するなか、2人と顔を会わせる機会が格段に増えました。多くの会社で在宅勤務が奨励されていますので、在宅作業が中心の自営業者だけでなく、多くの会社員の方々も同じような経験をされていると思います。

 私の場合、上の子が中学3年生のころから単身赴任が多くなりました。同じ家に住み始めてからも私の方が不規則な勤務時間だった上に、子供たちが大きくなって外出機会が増えた結果、小さい時に比べて顔を会わせることが格段に減っていました。「子供と屈託なく正面から向き合っていられるのは、小学生ぐらいまでだな」って改めて思います。

 そんな中で訪れた常時在宅期間。最初は、一人で在宅勤務をしていた関係から、娘たちを非常にうっとうしく思っていたのですが、どうしても集中したいときは喫茶店に行ったり、外で電話したりと互いに気を使うようになって、割とストレスが減りました。

 そして、昼飯を作ってあげたりすると、娘が料理に目覚めて昼飯だけでなく晩飯も作ってくれたりして、会話も増え出します。ZOOM飲み会だというので、部屋から追い出しをくらい、しばらくして自分に部屋に戻ると、空き缶が散乱。これにはいい加減にせえよと思いましたが、それでも別の機会には「こいつ、いつもこんな感じで飲んでるのか」と思え、それはそれでいい機会となりました。

 そして、なんとなく、時事問題などについて質問を受けることが多くなったように思います。女だからというのがあるかもしれませんが、わりと自分のこともしゃべってくれます。半年ほど東京に残っていた妻子を単身赴任先の大阪に呼び戻した際の話を、当時中3だった長女が口にしました。

 「大阪に来た当初、関西スーパーの入り口のお好み焼き屋、あそこに入った時はこれ大丈夫なんかと思ったわ」

 そんな慨嘆を口にしました。こちらはすっかり忘れていたので、「そんなことあったかな」と思う一方で、「この娘はこの娘で苦労したもんな」と改めて思いました。

 幸いなことに、次女はそれなりの会社に内定しました。新型コロナウイルスの影響で新卒採用の枠は大幅に狭まっているようなので、これはありがたいことです。ただ、今の3回生の就活は今年よりももっと厳しくなると聞いた時にはぞっとしました。

 

 そんな会話もたぶん、在宅時間が長くないと起こらなかっただろうな、と思っています。でも、そんな会話の時間が増えたことよりいいと思えるのは、働く姿を見せられたことです。文書を書いたり、メールを書いたり、電話をしたりといった、たわいもないことなのですが、「お父さんって、大人って、こんな感じで仕事してるんや」と思ってもらえてるような気がするのです。

 

 中小企業を中心とした事業承継のことについて「取材して書いてもらえないか」と頼まれたことがありました。残念ながら半年ほど前からペンディング状態が続いているのですが、それまでの間にいろいろ話を聞いたり読んだりして、「子供に親の仕事を見せてきたか、どうか」が事業承継の可否の重要な要素ということを知りました。

 親の働く姿を見たという経験は私にはほとんどありません。サラリーマンでしたから。話を聞いたり、写真を見たりということぐらいはありましたが、自営業者とか、働く現場が家から近い人とは違います。会社の名前とかたまに聞く肩書とか、そんなことから、「こんなことしてるのかな」と想像するぐらいでした。

 ですが、自営業者の場合は常に働く姿を見せられる。それは時にかっこ悪い姿かもしれませんが、それはそれで子供の糧にはなるでしょう。子供たちまでもが家で過ごす機会が増え、最初は子供の前でいろいろと電話をするのは「どうもな」というのがあったのですが、今は抵抗がありません。

 そして、娘たちと接する時間が長くなればなるほど、そこはかとなく「ちゃんとしたお父さん、親でありたいな」という気持ちが強くなっているような気がします。

 新型コロナウイルス、それに対する施策に対してはいろいろと思うところがありますが、環境が変わることで、同じ環境だと得られなかった体験が得られるというのは、貴重だと思います。そう、だから、娘に恥ずかしい気持ちを持たないで済むよう頑張らなれば。。

 

 

 

 

 

 

【自営業8】心構えは「絶対できる」なのか

 前の会社でのこと。職場の正社員だれもが一目置くアラフォーの女性がいました。バイトとして働いていましたが、私がその職場にいた時には本来の庶務の職務を超えて働いていました。法的に、契約的にどうなのかというのはさておき、彼女はその庶務以外の仕事が好きでしたし、合ってましたし、職場としても助かりました。

 

 彼女は楽しく働き、彼女が庶務以外の仕事をしてくれていることで、職場全体の力が2割増し、3割増しになっていたと思います。とても、ありがたい存在でした。

 

 その彼女が言ったことがあります。

 

 「自分でやるような人は、我が道を行く人。その人が言っていることはたいてい、何を言っているかわからないけど、パワーだけはあって、そのパワーで人を惹きつけてる」

 

 そんな内容でした。「自分で何かを起こすなんてことは簡単ではない」という諫めの言葉でした。言葉は悪いですが、「きちがい」のような人でないと無理ーという理解をしてました。

 

 「きちがい」。「それは無理だ」と思いました。なぜ、そんな風に考えたかというと、その職場に赴任する前から、「こんなことできないか」という、ビジネスモデルを温め続けていたからです。

 

 そのビジネスモデルの実現は、イニシャルコストが大きすぎること、本格的にやってくれる人が1人か2人はいないと成り立たないこと、協力者になってくれそうな人に逃げられたことであきらめました。「成功が保証されていないのに、1000万円ほどの初期投資なんて絶対無理」とも思ってしまいました。

 

 ハンガリーからの輸入ビジネスに可能性を見いだせたこともあります。しかし、輸入ビジネスがあろうとなかろうと、まず間違いなく、踏み出せてなかったでしょう。

 そういう自分の心の動きを踏まえると、「きちがい」のような心持ち、気概をもてない限りは「起業なんてできない」と思うのです。

 

 つまり、彼女は「やっぱり、正しいことを言っていた」と思います。

 

 ただ、今の自分はどうなのだろうとも思います。いまやろうとしている輸入ビジネスなんて、私は完全な門外漢。前の仕事で培ってきた「書く」ことを生かせる場面がゼロではないとはいえ、輸入の「ゆ」の字にもかかわりのない仕事でした。倉庫とか通関とか、まったくわからない。無謀です。それでもやり始めたのは、「おもしろい」と思ってくれた人が複数いたこと、商材への評価が高そうだったこと、そしてイニシャルコストが数百万円で済みそうだったからです。

 

 不安を抑え、「できる」と信じ、やるべきことを着実にやる。それでできなかったときのことは考えない。それって、ある種の「きちがい」の所業なのかと思います。

 

 彼女は前の職場がなくなった結果、仕事を失いました。しかし、その仕事ぶりが同業他社に評価されていました。結果、同業他社への就職を果たしました。

 

 地方とはいえ、アラフォーでの再就職。私なんか品出しバイトさえ不合格だったのに。。でも、「あの時の職場のみんなの評価は間違ってなかった」ことには勇気づけられました。私らの見立ては間違ってなかったと証明されたからです。

 

 輸入の実務経験どころか知識ゼロ、前職はビジネスセンスも必要のなかったのでビジネスセンスもゼロ。徒手空拳での輸入業務なんて、狂気の沙汰だと思います。

 

 でも、この取り組みを始めて、時折に胸に去来するこの言葉に助けられています。

 

 「世のは 何とも 言わば言え 我なす事は 我のみぞ知る

 

 ある意味、独善的な、すごく身勝手な物言いです。

 

 でも、この句を詠んだとされる10代後半の坂本龍馬がその時、「何を目指しているか」「なぜそれを目指しているか」を説明することは困難だったでしょう。説明しても、周りはわからない。「危ない奴」のレッテルを貼られて牢獄入りだったかもしれません。そうである以上、坂本龍馬のこの慨嘆は間違いなく正しく、自分勝手でもなんでもないと思うのです。

 

 そんな周囲と自分との考えのすり合わせができない時代でないのですから、坂本龍馬のこの言葉にすがるのはどうかとも思います。所詮、私は勝手な人間なのかとも思います。いや、「所詮、人間なんてみんな身勝手」と開き直るようなところもあります。すり合わせのできない独善的な人間なのでしょう。

 

 私はなぜハンガリーからの輸入事業なんてことを始めてしまったのか。

 そんなことも思いますが、後悔しないと思えるのは、その事業、その事業から生まれる派生的な出来事に夢を感じられるからです。

 

 「バイトさえ受からないから、夢にすがってるだけやろ」

 「いままで、逸失利益を含めてどんだけ失ってきた? アホちゃうか!」

 まあ、そうかもしれませんね。

 でも、いいんです。

 儚いのが人の夢です。

 

【自営業7】働く意識を変えるリモートワーク、自営業意識の醸成で社会が変わる?

 非常事態宣言から1カ月余り。ようやく新型コロナウイルスの新規感染者が顕著に減り始めました。PCR検査の実施件数が増え始めているので、この減少は本物だろうと思います。その一方で、リモートワーク、在宅勤務の動きはとどまらないとも思っていました。

 しかし、昨日5月11日、その見方以上にドラスティックな動きが始まっていることをニュースで知りました。東京のベンチャー企業がオフィス閉鎖を決めたというのです。

コロナの収束傾向が顕著になっても、再燃の可能性は残る。である以上、リモートワークができる人たちは、リモートワークを続ける。そういう状況になるとは思っていたのですが、これを奇貨として、或いはこれに乗じてというべきか、オフィスをなくしてしまうとは驚きました。

 この会社はもともと社員の半分ぐらいが在宅勤務をしていたとのことでした。だからできるという側面はあります。オフィス代の節約、従業員の交通費の節約にもつながるから、会社としてオフィス閉鎖の利益は大きい。従業員にとっても毎日の長時間通勤に煩わされることがなくなるため、とてもありがたいことだと思います。

 

 入社3年目のうちの長女も今、半分くらいは在宅勤務です。現場がある仕事なので外に出ることもありますし、上司の決裁が必要だから出社する必要もあるというので、ずっと在宅の日は半分以下の感じですが、ここしばらくは在宅勤務が奨励され続けるようです。

 長女の会社は、オフィスの閉鎖をすることはないでしょう。

 「上司の決裁が必要だから出社」という旧態がある以上、とてもオフィスをなくせないと思うからですが、それでも働くことの意識改革にはつながると思うのです。

 それは、つい最近まで声高に叫ばれていた働き方改革といった表明的かつ形式的なものではない変化をもたらすと思います。

 長女は在宅勤務時に化粧をしません。化粧品の売上が落ちたとのニュースを見ましたが、むべなるかな。化粧をしないどころか、パジャマ姿で勤務、眠くなったら布団に潜り込むといった体たらくです。

 まあ、私は勤務時間中に昼寝がしょっちゅうだった人間なので(そういうことが認めらられる雰囲気があったので)、長女のことを責められません。いや、むしろ、「それでいいんじゃないの?!」と心の中で思っています。

 「やるべきことをちゃんとやってればOK」「誰にも迷惑かけてないんでしょ!?」

 そんな風に思ってしまうのです。

 3年目だから、ある程度仕事の流れもわかっているし、何が大切か、仕事の肝が何かもちゃんとわかっているようなので、それほど下手を打たない感じなんです。だから、「いいやんか」と思うのですが、一方で、そういう意識の社員がいっぱい出てきたら、「会社は困るだろうな」とも思います。

 

 以前、バーで隣り合った60過ぎの男性から、「自営業は大変ですよ」「(上司からの指示がなくても)自分で何をするかを決めないといけないから」と言われた時、「ずっと書く仕事をしてたから、大丈夫です」と言ったら、妙に納得されたことを覚えています。「自ら書くネタを探す」のが仕事でした。この作業には、上司云々はあまり関係ないので、今も「今すべきは何か」や「儲けられそうなネタは何か。売り上げが立ちそうな方策は何か。そんなネタが手ごまとしていくつあるか」なんて意識が常にあります。

 そして、そんな意識が在宅勤務をする人には求められていると思います。長女を見ていて、そんな気がします。自ら仕事を切り盛りできない人は困りますし、実はすべき仕事が大してなかった人も困るでしょう。そういう仕事の負荷の調整がこれを機に進みそうな気がしますが、それ以上の奥深い所での大きな揺れが、在宅勤務による意識変革によって起こりそうな気がするのです。

 

 もし、自営業者と同じように、社員一人ひとりが自ら仕事を切り盛りするだけでなく、探し出し始めたらどうなるか。あるいは逆に、在宅をいいことに副業を見つけてそれにいそしみ始めたらどうなるか。前者は数年後、あるいはもっと先かもしれませんが、転職、独立を追い求めるような気がします。後者も独立自営の道を本格的に模索するかもしれません。

 オフィス閉鎖を決めた会社は、「社(やしろ)=みんなが集まる場所」という意味ではすでに会社ではありません。仕事をする人たち、仕事ができる人たちが、1人ではできないより大きな仕事をするためだけに一緒に仕事をしているだけです。一緒に仕事をしているわけですから、仕事をする中においての喜びや苦しみとか悲しみを分かち合うことはあるでしょうが、社の中のウェットな関係はなく、常にドライな気がします。自営業者同士の、ねとっとしたところもありつつも、究極的にはドライにならざるを得ない関係が社員同士の間にもあるような気がするのです。いや、オフィスのない会社の社員の関係は、自営業者同士の関係よりもはるかにドライなようにも思えます。

 

 でも、そのドライさが、日本の会社には求められているように思います。少なくとも、旧態依然とした在りようはとても非効率という状況になっています。つい先日、ZOOMを使った酒蔵による試飲会&蔵見学会に参加する機会があったのですが、なかなか楽しかったです。ゴールデンウイーク中、オンライン帰省をした娘たちはとても楽しそうでした。

 果たしてハンコが必要なのか。果たして鳩首そろえた会議が必要なのか。果たしてオフィスに集う必要があるのか。そんな必要性の有無、していることの是非を追究する姿勢が会社の中に生まれない限り、日本の中では通用しても、世界の中では取り残される。

 そんなことをつい思ったりするのは、悲しいか哉、自営業における本丸の準備がなかなか整わず、出発できないからなのかもしれません。売り上げゼロの貯金食いつぶし状態が続く今からしたら、会社員の安定は驚くべきものです。

【自営業6】落ちた、ウーバーしかないのか・・

 先週の火曜日、21日に近所のスーパーのバイトの面接に行ってきたことは前回、記しました。

ここに結果を、記します。

 落ちました。

 

午後1時から20分ほどの面接は、アラフォーの社員と1対1で話をし、別に何の問題も感じさせられませんでした。朝の品出しバイトは午前7時から午前10時。前回バイトの面接に行った酒屋の配達バイトでは、「お客様に会うのでひげはダメ」と言われていました。ですので、口ひげに対しては少し不安ではあったのですが、朝の品出しバイトは開店前に業務が終わるため客と会うことはありません。また、面接ではこの件についてまったく言われませんでしたので、ひげが問題になったとは考えにくいのです。

 

ローテーション勤務なので、希望として「日月か月火あたりの週2回」と伝えましたが、「もしローテに空きが出て、入ってほしいと言われても入れますよ」と言っていました。週2回は少ないかとも思いましたが、急に生じたローテの空きを補充できる要員になれますよ、とアピールをしたわけですから、この点で不採用になることはないと思うのです。

 

せこい話ですが、近所に住んでいるため交通費不要というメリットがスーパーサイドにはあったはずです。

 

では、なぜ採用してもらえなかったのか。

 

朝の品出しバイトは常時募集しているとのこと。面接してくれたアラフォー社員によると、担当になった2年間で「募集を止めたことはなかった」ほど、常時欠乏しているバイトなのです。

しかも、私がこのバイトに気づいたのは、スーパーの柱に貼られた募集の紙を見たからです。つまり4月で学生バイトが辞めたりしたので、補充要員が必要になって多くの人に見てもらうべく柱に募集要項を貼っていたのです。確かに、この効果があって応募者が多かったのでしょう、「バイトの応募が多くて、金曜日中に電話を入れられないかも」とは言ってました。

 

しかし、まさか落とされるとは。

 

最終決裁者は店長とも言っていたので、金曜日に電話がなかったときは「新型コロナウイルス対策で忙しいのだろう」と思っていました。土曜日に電話がなくても「まあ大丈夫だろう」と思っていたのに、日曜日に郵便受けを覗くと、スーパーからの封筒があったのです。

 

 

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「採用なら電話、不採用なら郵送」

そう言われていたので、封筒を目にした瞬間に「落ちた」と思いました。

そして、「不採用の場合は郵送」の理由が、履歴書を返送するためと知りました。

 

上記の通り、理由なんて書いてません。

慎重に審査した結果の不採用です。

まあ、年齢とは書けないと思うのですが、このバイトの張り紙には確か「50代も元気に働いている」とあったはずなので、53歳の私はまだ問題ないはずです。

それなりに補充ができ始めていても、私は週2回勤務。スーパー側からしたら、日月か月火の選択もできる隙間要員的な存在だったはずなので、落とされる理由がよくわかりません。

 

とすれば、応募時に電話で問い合わせた際「自営業の準備中だが、すぐに忙しくなりそうにないのでバイトをしたい」と話したのが悪かったのか。

或いは「長期の雇用をお願いしている」とする一方で、「契約は6カ月更新」なんて矛盾することを言ったことに対し、悪態をついてしまったからか。

はたまた、朝7時から10時までの短時間勤務であるにもかかわらず、副業兼業だめみたいなことを言っていたことに、何らかの文句を言ってしまっていて、不評を買っていたのか。。。

 

まあ、いいや。

縁がなかったということで。

今度はおとなしく面接を受けます。

いや、やっぱりウーバーか。。