50男の働き方改革~なるか、自営の道~

平成最後の31年4月末、30年近く勤めた会社を希望退職。再就職せず、生きることを目指す50男の記録

【自営業5】退社1年、バイトの面接を受けました。

前の会社を退社したのは、昨年4月末。最後の出勤日は4月22日でしたので、今日で退社からちょうど1年になります。会社を辞めてすぐ、失業認定をしてもらって、ハンガリーに行き、パソコン教室に通い、ハンガリーからの輸入事業を始めるべく昨年秋ごろから本格的に動き始めました。

 

いろんな準備は進められているのですが、商品の輸入にまでは至っていません。ライティングのバイトもできていないので、収入ゼロの日々が続いています。

 

食いつぶす日々の感覚には、事業にめどがつきつつあることもあって、ある程度慣れています。マンション内での視線は気になりますが、平日の日中に出歩くことには抵抗感がすっかりなくなりました。しかし、事業の準備もあらかた済んで、大してすることがなくなってくると心が落ち着きません。

 

ヒマだから、普段は絶対に掃除しない場所を「〇年ぶりに掃除する」なんてこともして、断捨離を進め、いらないものをメルカリやラクマ(楽天のオークションサイト)で売り始めましたが、ヒマなことに変わりはありません。

 

絶対的にしないといけないことがなくなってくると、生活のリズムも崩れてきます。

だから、バイトをしようと思いました。

 

実は、ひと月ほど前、酒屋の配達バイトをしようと面接に行ったことがあるのですが、口ひげにダメ出しをされました。このころはクラウドファンディングが成立するかどうかも定かではなかったため、今よりも事業の見通しが悪く、収入への焦りがありました。

ただ、口ひげダメ出しの上に、バイトの開始日が2週間以上先。1カ月ごとにローテーションをきちんと決める勤務形態にも嫌気がさして、辞退しました。そうこうするうちに、クラウドファンディングが成立してばたばたとすることが多くなったのですが、今に至ってヒマです。家の密度がコロナの影響で高まっているので、なるべく家を出たい気分もあります。

 

で、さきほどスーパーの朝の商品だしバイトの面接に行ってきました。

午前7時から10時までの3時間でちょうど3000円。半年間は働くよう求められ、あらかじめ出勤する曜日を決めておくローテーション勤務でもありましたが、 家から近いため地下鉄に乗る必要もないし、生活にリズムもつくと思って応募しました。

 

とりあえず、日月か月火の週2回勤務。

月2万4000円程度。安いといえば安いですが、生活へのリズム付け、労働習慣付け、ヒマつぶし、と思えば、とてもいいように思います。

 

面接で口ひげにダメ出しがなかったので、大丈夫だと思うのですが、今週中にはあるという採用連絡がないまま、不採用通知が郵送されてきたら、ショックだな、間違いなく。

 

 追記

 面接のために入館する直前、検温をさせられました。面接官によると、コロナ以前からバイトを含めて全員に毎朝の検温を義務付け、37.5度以上の場合は休むよう求めているとのこと。37.3度の場合でも「たいていの場合、電話でやりとりしたうえで、休んでもらっている」とのことでした。

 徹底ぶりに驚かされましたが、これこそがパンデミックを防ぐために必要なことと思いました。そして、非常事態宣言が終わった後も、すべての会社がこのような対応をすれば、第二波、第三波ということもゆるやかな波で収まるのだろうと思いました。 

【自営業4】リモートワーク人口増加、視線が気にならなくなったけど・・

 

 お久しぶりです。

 

 ハンガリーからの輸入販売に向けた事業は、遅々とした歩みではありますが、着実に進んでおり、なんとクラウドファンディング会社が気に入ってくれてファンドが立ち上がりました。そして、多くの出資者が集まり、目標額を今日にも達成しそうです。

 

 そんな状況ではありますが、ブツの輸入にはまだ至らず、コロナな状況の中にあってメインの販売先と想定してきた飲食業界に休業が相次ぎ、このままでは倒産が相次ぐ状況です。幸いなことに、多くの出資者が得られたため、ネット経由の販売に期待が持てそうな状況になりつつあるのですが、国際貨物の物流コストは従前の2,3割増しという状況になっています。完全に寸断される可能性もゼロではないでしょう。

 

 国内の物流網でさえ、物流業者の配達員にコロナ感染が出始めるなか、どこまで維持できるか、定かではありません。

 

 つまり、大きな不安がないわけではないのですが、不安ばかり凝視していても仕方ありません。

 

 できることを一つひとつ積み重ねていくなかで、また、新たな展開も見出せると思い、自宅での作業が多い毎日です。

 

 この自宅での作業というのは、人の目が気になるものです。

 たまには散歩に、買い物に。気分転換のために家を出ると、マンションの管理人の目が、入居者の目が気になりました。

 「こんな日中から、あなたは何を」。そう思われているような気がしていたのですが、最近はリモートワークをする入居者らも増えたようで、現役世代を平日に見かけることが多くなりました。

 これは精神衛生上、とてもよいことだったのですが、悪いこともあるのです。

 

 それが家の中の人口密度の上昇です。

 

 幸いにして妻は今も働きに出ているのですが、体育会系のクラブに入っている大学生の娘は活動停止となって、さらに就活が外でできなくなって家にこもることが多くなったのです。

 これまではずっと1人で過ごせた平日日中の我が家に異物が入り込んできたのです。さらに、社会人3年目の長女は週明けからリモートワークに入ります。破綻です。

 リモートワークというのは、家にリモートワークできるスペース、環境があって初めて成り立つもの。長女の勤務先のチームでは「誰がリモートワークをするか」を決めるのに手上げ式を取ったらしいのですが、「俺が」「私が」と次々に手があがったとか。むべなるかな。

 

 コロナ離婚という言葉もむべなるかな。。

 

 

【自営業3】21万円近く還付決定、うれしい! 収入がほとんどないだけに・・・

 どうも49日前らしいです、前回の記事を書いてから。。

 あれから、49日も経ちました。

 会社の代表になり、ハンガリーからの飲食品の輸入を目指して頑張っているのですが、「あー、ヨーロッパの人とは!!」と嘆くこと多々あり、牛の歩み、とろとろとろとろとしか進みません。もちろん、こちらサイドでごちゃごちゃして物事が遅延したこと、知識不足などもあり、すべてがヨーロッパサイドのせいではありませんが、ヨーロッパサイドには多々不安を感じさせることが多いのも事実であります。

 というわけで、事業によって売り上げが立つのは4月以降。それまではライティングのお金が月に3-5万円入るだけ。なのに、大黒柱としての住宅ローンやマンション管理費の支払いやらなんやらを求められるので、月々の出費は考えたくなくなるほど多額です。

 住宅ローンに関しては、上乗せ退職金の半分を使ってローン残額の半分あまりを払ったし、60歳になるまで払う予定だった個人年金も前払いしたし、子供の学費は確保して別会計にしているし。だから、ストック的にはあま問題ないけど、フローがないのがこれほどつらいとは。

 

 そこで、確定申告シーズンを前に、税理士に相談にのってもらいながら申告を済ませられるというので、行ってきました。

 昨年4月末まで在籍した前の会社の給料が360万円近くあり、21万円近く所得税源泉徴収されていました。ウーバーイーツやライティングの仕事で20万円ほど雑収入があり、10万円強分は10%の所得税源泉徴収されて振り込まれていました。

 結果的に20万円強の還付が決まったのですが、控除額が最も大きかったのは、2人分の扶養控除。これが100万円ほどあり、社会保険料控除も60万円ちかくありました。生命保険料控除や基礎控除もあり、控除額は総額で220万円。一方、雑所得込みの収入380万円による所得は240万円と計算されたので、課税される所得金額が21万円となって、所得税率がなんと5%で所得税額は10600円。だから、21万円近くの還付となったのです。

 正直、21万円近い還付金額を見た時、「あれ、俺、もしかして納税なし」と思ったのですが、1万円は支払うことになっていたので、なんとなく体面を保てた気分になりました。

 ちなみに、20万円の雑収入のほとんどがライティングによるものでしたので、新聞や電話代、雑誌代など10万円分は経費で落とせました。もちろん、税理士に相談のうえ。そして、相談した結果、マンションのローンや管理費などは経費として認められないと言われました。これについては大いに不満があるのですが、結果的には入れなくてよかった。入れてたら、所得税ゼロになっちゃうからです。

 でも、そんな体面より、何よりも、フローを生み出さなければ預金残高が減るばかりです。今まででも、信じられないような減り方をしてきたのに、これからさらに減っていくことを考えると、もう、うかうかしていれません。自分が代表を務める会社からはいまのところ報酬をもらっていません。だって、報酬の源泉が自分で出したお金だから。タコが自分の足を食うようなもんです。

 なので昨日、思わずタウンワークを手に取ってしまいました。そのうち、ウーバーイーツ以外のバイトについても報告するかもしれません。。。

 

【自営業2】しばし、ハンガリーです。

 前回、耳鳴りがするなんてタイトルを付けたまま、更新しないでいました。少し心配でした、との声をひと所からだけですが、聞いていましたので、更新のための更新をします。

 やはり、自営業というのは自分で考えたり、動いたりしなければ何も始まらないので、自営業に関係のないことはあまり考えないようになってしまいます。

 12月14日の深夜に関空を発ち、15日昼にブダペストに到着。1週間が経ちました。うまくいっていると言えばうまく行っています。日本にいたままでは埒が明かなかったであろうことも、進みました。

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 この、はじめの一歩的なものはまあ、踏み出せて当たり前の話だったのですが、解決策を探すのにむちゃくちゃ苦労するだろうなと思っていたある課題も、手がかりをつかめました。この手がかりを生かせれば、事業がとてもいい展開になると思います。

 今日は22日。帰国便は26日正午発。残り数日できちんと押さえるべきポイントを押さえていければ、それなりにいい感じになると思っています。

 以上です。

 

【自営業1】耳鳴りがする。

 耳鳴りがひどい。ほぼ24時間、「きーん」という音が両耳から聞こえています。もともと耳鳴りのする方だとは思っていますが、時々気になる程度だったのに、この1カ月ほどは恒常的になり続けています。今もそうです。先日、大学の後輩と会ったとき、「メニエール病になった」「味がわからなくなった」「耳鳴りがするのならメニエール病かもしれませんよ」と言われ、役所手続きの合間に耳鼻科に行ってきました。

 

 この19日にハローワークで「自営宣言」をした後の平日3日間は、会社の変更登記の申請や銀行口座の名義変更、大阪府税事務所、大阪市税事務所への登録手続きなどの準備に追われました。書く仕事への対応もそれなりにあり、忙しく過ごしました。

 忙しいのはいいのですが、「自営宣言」したところで、会社の登記がちゃんとできたところで、収益が上がるわけではありません。たぶん、収益が上がり始めるのは何カ月も先です。いや、そもそも、ちゃんと商材が輸入できるのかさえ100%の確証が得られていない状況です。輸入できても収益が出るかどうか・・・、もうこういうことは書いてきました。

 

 メニエール病は耳鼻科のHPによると、「内リンパ水腫(内耳のリンパが増え、水ぶくれの状態)」を原因にして、「難聴、耳鳴り、耳が詰まる感じなどの聴覚症状を伴うめまい発作を反復する」というものです。

 わたしはめまいは感じませんでしたが、メニエール病と診断された後輩は、ずっと耳鳴りなどの耳の不調が続き、あるときに立っていられないほどのめまいを感じて医師の診断を仰いだら、メニエール病と言われたとのことです。耳鼻科のHPを検索しても、後輩の訴えた味覚障害との直接的な関連は出てこないのですが、一番いやだなと思ったのは、メニエール病になって「味覚障害になる」ことでした。

 

 とりあえず、隙間の時間を狙って耳鼻科を受診し、耳を外から見てもらい、聴力検査をしました。すると、年齢相応に高温の聞こえ方が悪くなっていたのですが、音の変化などについてはすごく成績がよく、「難聴ではない」とのことでした。

 そして、「メニエール病の可能性は」と単刀直入に聞くと、「メニエール病は難聴を伴うから、その可能性はないです」と明言しました。「耳鼻科の出る幕ではない」と語った医師は、「脳腫瘍が原因で耳鳴りがすることもある」と話したのですが、つい最近、脳のMRI画像を撮ってもらい、腫瘍などのないことはわかっていたので、その旨を話すと「じゃあ、大丈夫ですね」と。

 そして、「耳鳴りはストレスや寝不足でもなるんですよ」「私も10年ほど前から耳鳴りがするようになったんですが、『また鳴ってるわ』といった感じで気にしないようにしています」と話しました。

 

 そうだよな、と思いました。メニエール病を気にしないでよくなった今は、もはや耳鳴りを気に病む必要はなくなりました。気にしてもしようがないことを気にするのは、愚行に近いと思います。しかし、心房細動による不整脈加齢黄斑変性によって対象が微妙にゆがんで見える右目と、体のあちこちの部位に衰えを感じる今日このごろです。「ずっと耳鳴り」までがここに加わることは、できれば避けたいところです。

 

 私の恒常的耳鳴りの原因はストレスと睡眠不足なのでしょう。ストレス耐性はそれなりにあるとは思っているのですが、先の見えない自営という今の状況は、微妙に心に影響を与えているのでしょう。だから、お願いします。あんまり、いじめないで。やさしく見守ってね。。

 

 

【再就職手続き25】自営に専念と宣言。少し、損した気分。。

 4カ月にわたったパソコン教室が終わり、再び自由な身分となりました。しかし、いや、ありがたいことに、割りと忙しい体になっています。あれこれやるべきことがあるのです。実家のこともありますが、書く仕事の方もいい感じになっていて、外に出て取材をするという仕事もお願いされました。講演の取材でしたので、録音がうまくいくかどうかとか、久しぶりの一眼レフをきちんと使えるだろうかとか、いろいろ不安もありましたが、まあそれなりになんとかなっていると思います。さきほど、脱稿しました。

 この仕事はこれまでよりも単価がよく、こんな仕事が次々に入ればちゃんと食っていけるというレベルなのですが、世の中そんなに甘くない。次々に入らなければ、干上がります。

 一方で、6月のハンガリー訪問で見つけた商材で輸入事業をしようとする企ては、もはや後戻りのできない状況にあります。ですので、書く仕事と輸入事業に向けたいろんな作業に追われ、再就職なんてことは考えられない状況にあるのです。

 

 昨日の19日、失業期間中の状況をハローワークに伝える失業認定日でした。いつも通り、働いた日を記した書類を提出。「次回は12.5が認定日です」「2回は就職活動をしてください」と伝えられ、「自営業をしようと思っている」と伝えました。でも、会社の登記はまだなんですと。自営業の場合は事務所にする部屋を契約するとか、会社を登記するとか、そんなことをメルクマークとして「自営業を始めた」=「失業状態ではなくなった」と認定されるのですが、今もって「自営業を始めた」「でも儲からなかった」「損するばっかりで終わった」となる可能性は捨てきれません。

 儲からなければ、そして、書く仕事でも十分なお代をいただけなければ食べていけません。だから、輸入事業の白黒、グレー(ちょっとだけ儲かる)がはっきりするであろう半年先には、「やっぱり再就職」という可能性は十分にあります。

 

 でも、「自営業をしようと思っている」「あすか明後日に会社の登記をする」と伝えたのは、もう専念しようと思ったからです。失業手当をもらうために、再就職するふりをするのがわずらわしいと思ったのです。たぶん、自営業の先行きが見えないので、「まだ宙ぶらりん」ということで失業状態であると強弁することはできる状況ではあると思うのです。現実問題としてそういう状況ですので。ただ、公務員に職務専念義務違反があるように、自営業を始めると決めた以上は自営業専念義務を果たそうという感じです。

 

 ただ、ショックは受けました。

 

 失業手当の受給期間を3分の1以上残して再就職(自営を含む)を決めた人には、再就職手当が支給されるのですが、これが残りの受給金額の6割か7割になると単純に思っていたのです。残りが3分の1以上3分の2までの場合は6割だから、私のもらえる1日の失業手当8000円強の6割、5000円×残り日数になると思っていたのですが、6割を掛ける数字には6000円強という上限があり、6000円強の6割、つまり3700円×残り日数という計算だったのです。

 

 8000円が5000円に減るのはまだ我慢できても、半額以下になるのはつらい。そもそも、「この上限はなんなんだ」とも思いますし。ただ、この再就職手当の総額は58万円ほど。10月18日までの失業手当24万円込みで考えると80万円ほどは近々いただけます。11月、12月、1月、2月。。。これぐらいまでは頑張れる。指折り数えてそう思いました。それまでに白黒、グレー、はっきりしています。

 

【再就職手続き24】パソコン教室、なみだの修了式

 7月16日から始まったパソコン教室が今日、15日に修了式の日を迎えました。いつも通り、午前9時20分に始業。いつもは生徒が持ち回りで起立、礼の号令をかけますが、最後の日は講師が号令をかけました。「おはようございます」の講師の声に続いて、9人の生徒全員が「おはようございます」。そして、語先後礼に則って30度ほどの礼をしました。

 最初の2月ほどは声が合わなかったり、そもそも号令の間違いがあったりしましたが、この1月ほどは完全に合うようになっていました。そして、今日もきれいに9人の声があいました。不思議なものだと思いまた。

 失業して5カ月半。そのうちの4カ月、平日のほぼ毎日をここに通っていました。2カ月ほど前からは男3人で一緒に昼ご飯を食べるようになり、そのうち女性陣も参加するようになって、1,2週間前からは「みんなでご飯もあと何日」というカウントダウンが始まっていました。

 起立・礼・着席という朝の挨拶、キンコンカーンコーンという鐘の音、出席番号順で始まった出席確認、2人ずつが並ぶ座り方、グループワークで一緒に作品をつくる取り組み。そんなこんなはすべて何十年も前の学校の世界でした。全員が「えーっ、そんなことするんですか」という反応を出した朝の3分間スピーチも、ぎこちないながらに始まったのに、後半からはくじで引いたお題に、時にはぶー垂れながらもそれなりにしゃべるようになっていました。そこにはそれぞれの多くのプライベートな話が含まれていました。

 だから、なんとなく、それぞれの事情を知るようになっていました。

 そして、修了式後にもそれぞれが3分前後のあいさつを行いました。私は「遅刻しないという目標をそれなりに達成できた」というしょうもない感慨と、webサイトづくりの力を一定程度身に着けることができたこと、講師がいろいろ教えてくれたことに感謝を述べて終えましたが、アラサー女性のあいさつは、家族の介護で授業を中座したり、そもそも来れなかったりしたことを話して感謝の言葉を述べました。

 彼女が家族の介護を抱えていることは最初の自己紹介で話していたのですが、それがこれほど大変な状況だったとは知りませんでした。授業の合間の10分休憩中、よく突っ伏して寝ていたので、「いくらなんでも」と思ったことを反省しました。

 残る7人のうち5人はさばさばした感じの話だったのですが、アラフィフの男性と女性は違いました。いろいろ周りに教えてもらったことに感謝の言葉を述べ、そのうちに涙を流し始めたのです。

 私はこの教室に、自分がまったく無知なwebの知識を教えてもらおうと思って参加させてもらいました。おかげさまで、一定程度の知識を得ることができました。それは、この教室に参加しなければ得られなかった知識だと断言でき、貴重な4カ月だったと思っています。だから、「参加してよかった」という感慨は強く持っていますし、わかりやすく、丁寧だった講師への感謝の気持ちもありますが、それが涙腺を緩めることにはまったくつながりませんでした。だから、きょとんとした気持ちで、最初の男性の涙をみたのですが、女性の涙も見て、2人とも純粋でまじめなのだと思いました。

 

  男性は議員秘書を長年勤め、小沢一郎に心酔していたという話をしていました。声がよく、張りもあって、最初は秘書経験のなせる業かと思ったのですが、ながらく剣道をやっていると知り、剣道で鍛えらたれと知りました。この男性は2月ほど前、以前のつてで建設会社の営業職に内定していたのですが、授業には通い続けました。

 女性は営業事務を長らくやっていましたが、転身を図るべくこの教室に通っていました。早くに夫と死別し、今は19歳になる娘を女手一つで育てあげました。その間、母子家庭ということでひどい仕打ちを何度も経験したらしく、優しいお母さんという雰囲気しか醸し出していないにもかかわらず、「あなたの性格を色で現すと」という3分間スピーチのお題で「赤」と答え、ひどい仕打ちにぶちっと来ると「徹底的に戦ってきた」「医療過誤では弁護士もつけないで勝ち抜いた」ということを話して、驚かされました。彼女は20日から介護施設で働くことてが決まっています。

 つまり、2人ともすごく純粋でまじめなのでした。

 

 ずっと会社勤めをしてきた私が仕事でちゃんとつきあった人にはいないタイプだったと思うのです。そして、講師曰く「濃いキャラが多い」というweb制作のこの教室にはほかにもいろんな人がいました。英語とフィリピン語を教えてきたという62歳の男性を筆頭に、週3勤務の仕事を続けながら絵を描き続けている40過ぎの女性、国立大学を出た後、専門学校でイラストを学び、作家活動を始めた20代の女性、府立高校を定年になったばかりの男性、デザイナーとして勤務していた会社を辞めた40代の男性、そしてさっさと希望退職してしまった私。濃いといえば濃い。少なくとも、オフィス事務の教室の生徒よりははるかに濃いのだろうと、私も思いました。

 

 国立大学出の女性はちいさな会社のデザイナーとして18日から就職することになっています。府立高校の男性は、修了式の最中に前日面接を受けた会社から電話が入り、「今、内定が出ました」と。ちょっとカッコよすぎでした。つまり、9人のうち4人が決まったのです。

 修了式の後しばらく教室で時間をつぶし、特段の用事がなかった6人で最後の昼食。その時に、家族の介護が大変なアラサー女性が言いました。「すでに内定を留保させてもらっている会社がある」と。そして、遠距離恋愛の彼氏がいて、「結婚するかも」と。

 すると、絵を描き続けている女性がスマホの画面をみんなに見せました。「私の絵を気に入ってくれて、(某有名作家の)小説の装丁を任されたんです。今、最終のOKが出ました」といって、そのOKの出た装丁を見せてくれたのです。なかなかきれいな装丁でした。

 となると、残るのは62歳のおじさんと、40代のランチ仲間の男と私の3人。62歳のおじさんはあと2,3年で年金が満額支給。自宅は持ち家らしいし、毎日弁当をもたせてくれる奥さんもいるようだし、心配はない。40代のランチ仲間は心配。奥さんは薬剤師というけど、結婚2年目で身ごもっており、前日も口喧嘩が午前3時まで続いたとか。会社勤めのデザイナーとして働いてきたらしいのですが、40歳を超えると見えない年齢による足切りがあるようだし、大変だけど、がんばってほしい。

 で、私は、夢追い人。ランチを終えて一人自宅に向かう道すがら、大沢誉志幸の「そして僕は、途方に暮れる」のメロディーが頭に流れていました。

 

【働き方改革15】日本の四季とハンガリーの四季

 

 「日本にはほかのどこの国にも(負け)ない四季がある」

 こんな言葉を親なりから聞いたことはありませんでしょうか。

 そして、疑問に思ったことはありませんでしょうか。

 確かに、東南アジアの国と比べれば日本の四季は明白です。夏には燦燦とした陽光が降り注ぎ、冬には雪が舞うー。日本列島は長いので、雪の降らない地域もありますが、それでもすべての日本の地域で四季ははっきりし、そのうつろいが日本人の情感に深くかかわっていると思います。

 それでも、それは「赤道近くの国々と比較すれば」という程度の話であり、すべての国に胸を張って言えることではないのではないか。そんな風に、ずっと首を傾げつつ過ごしてきました。別にどうでもいい話ではあるのですが、でもなんか気になってました。少し考えれば否定できそうな話を、なんで疑いもせずに言えるのだろう?、と。

 

 そして、昨日、NHKでたまたま「少年寅次郎」という車寅次郎の少年期を描いた山田洋二監督原作のドラマをみて、膝を叩きました。

 第2話だった昨日は、寅次郎少年の小学校におけるやんちゃぶりが描かれ、病に臥せった兄とのやりとりで始まりました。裕福な家でした。何をしているかわからない父は家で寝そべり、家を訪ねてきた弟夫婦といさかいになります。原因は父が「弟」「弟」と言いつのったことにあったのですが、その言葉の裏には「赤紙」による招集が「弟には来ても、兄たる自分には来ない」「だから覚悟しとけよ」という思いがあったようです。そんないさかいのなか、兄である父の元に赤紙が届けられます。

 それを受け取る母役の井上真央の演技もなかなかよく、寅次郎少年の闊達さも情感ある演技もよく、ドラマの中に引き込まれました。そんなころの寅次郎少年の教室で、日本の四季のすばらしさをみんなで読み上げる様子が描かれたのです。

 

 先生が読んだ文章を子供たちが一緒になって復唱していく。その様子を見て、「だから、日本人全体がなんとなく、日本の四季が世界一と思ってるんだ」と思ったのです。「人を鼓舞するには褒めるのが一番」「特別感を持たせるのが一番」ということだったのでしょう。戦前生まれの私の両親もこんな唱和をしたから、「日本の四季はどこよりもすばらしい」なんてことを言えたのだなと思いました。

 冒頭に書いた通り、「すばらしい」のは間違いはないけど、「どこよりも」となると疑わしいーというのが私の考えです。

 

 ハンガリーには今年6月に17泊しました。着くまでは異常気象のような長雨続きで、ドナウ川で観光船の衝突事故が起こったほどでしたが、着いてからは晴れ続き。日本の夏のような暑さでしたが、湿気が少ないため、過ごしやすかったです。ハンガリーに行ったのは初めてなので、これ以外の季節は経験していませんが、「地球の歩き方」には「緯度は北海道と同じくらい。内陸部のため、大陸性気候で四季がある」とあります。

 

 ハンガリーは農業大国です。街中のスーパーには新鮮な野菜や果物が並んでいます。花が大好きな国柄なので、カフェやテラスには花が多くみられました。だから、間違いなく、ハンガリーの人たちは四季それぞれの恵みを楽しむ文化をもっています。ハンガリーを訪ねたことで四季だけではなく、食文化や地方都市の豊かさ、キリスト教の根付き方などを肌身で感じました。それは日本にいるだけでは感じられないことでした。

 

 10月2日の「【失業5カ月】走り出す。」という記事にも書きましたが、この時のハンガリー訪問で見つけた商材で輸入事業をしようと思っています。どれだけ儲かるか、そもそも儲かけることができるのかー。そんな問題はありますが、手掛けた商材を手に取って気に入ってもらえた方に、ハンガリーに興味をもってもらい、日本とは違うハンガリーの良さを知ってもらい、ついにはハンガリーを訪ねてもらう。

 それができれば、事業としては成功とします。

 そう思うのは、ハンガリーのような親日国をいまのような遠い国のままにしておくのは、日本にとってもったいないと思うからです。

 

 

【再就職手続き23】自営を目指しつつも、就職も視野の内。働き方改革で役所も柔軟志向?!

 先日、5度目の失業認定日を迎え、ハローワークに行きました。前回は失業認定申告書への記載を怠ったまま窓口に向かい、職員からいやがらせのような対応を受けましたが、今回は自宅できちんと申告書を記載して向かいました。窓口の近くで待つこと5分ほど。前回の若い男性職員が窓口で対応しているのに気づきました。ほかにも1人、同じ認定担当者がいて順番的にはこの担当者になると思っていたのですが、若い男性職員に呼ばれました。

 「またか」。そう思いましたが、さりげなく申告書を出しました。いくつか質問はしてきましたが、2分前後で終わり、就職支援の窓口へ。今回のハローワーク訪問の本題はここからです。

 

 現在、私は自営を目指しつつ、求職者支援としてのパソコン教室に無料で通わせてもらっています。「一から学ぶWEBサイト制作科」という教室なのですが、勉強を始めて3か月経ち、ある程度のWEBサイトは作れるようになっています。もちろん、サイト制作を本業にできるほどではありませんし、年齢的に無理なことはわかっているのですが、サイトが動く仕組みとか、その仕組みの設定方法などを知識として得られたことは、自営にとっても求職にとっても有益だと思っています。

 これまでちゃんと習ったことのなかったエクセルなどのソフトについてもいろいろ吸収することができましたし、残る1カ月のパソコン教室もちゃんと通いたいと思っています。その一方で事業を始めるための準備も急がなければと思っています。少なくとも、できるできないの白黒の判別を明快にできるようにまでは、早急にもっていきたいと思っています。

 

 しかし、自営業の準備というのは、パソコン教室、失業手当の受給に支障をきたす可能性が十分にあるのです。私は「自営業の準備を始めても、会社を設立しなければ大丈夫」との認識を持っていたのですが、果たしてそういう理解でよいのかどうか。その確認をしてきました。

 

 大阪ハローワークのサイトには「雇用保険(失業手当)の給付を受けることができない人」として、下記の記載があります。

https://jsite.mhlw.go.jp/osaka-hellowork/kyushokusha/_77900.html

 

(1)家事に専念する方

(2)学業に専念する方

(3)家業に従事し職業に就くことができない方

(4)自営業を開始、またはその準備を開始する方

(5)次の就職が決まっている方

 

 自営業の準備を開始した人も受給できないのです。

 果たして「法人を設立しなければ大丈夫なのか」。そこが気になっていたのですが、その一方で、会社を設立して事業を始めたとしても儲からない可能性もあるのだから、法人設立だけを絶対的な基準にするのはどうなのかーという思いもありました。たぶん、がっぽがっぽとは儲かりません。商売をしたことのない人間がやるのですから、当たり前です。つまり、儲からなければ、別で仕事をしないといけないわけです。就職も視野に入れざるをえません。

 

 実際、会社を立ち上げたものの収益が上がらないために勤めに出て、そこを退職した後に職業訓練を受けようとしているーと話した知り合いもいます。確か、失業手当ももらえるような話をしていたと思いまます。

 

 となると、会社って何?ってなります。

 働き方改革の時代でもあります。

 

 兼業副業は認められる流れです。社員の兼業副業を認めた方が会社としての収益機会が増えるーという考えもあります。兼業副業を容認する会社の社員の中には、会社を立ち上げる人もいるでしょう。そう考えてくると、ますます了解不能になるので、就職支援の窓口で聞きました。担当者は上記の事例を持ち出すなどした私の突っ込みに対して答えに窮し、上司を呼んでくれました。

 その上司は最初「こいつ、胡散くさそうやな」という雰囲気ありありの、文字通り斜に構えた姿勢だったわけですが、途中から面と向かって話をしてくれました。

 結論を記すと、

 「自営の準備をしていても就職が視野に入っていて、求職活動をしていれば、パソコン教室に通うことは問題ない。ただし、ほとんどの時間を事業の準備に充てていれば、それは失業状態ではないので、通うことはできない」ということでした。「きわめてあいまいで、個々の頭の中のことでもある」という旨も話していたと思います。

 

 会社を設立しても、「就職を視野に入れて求職活動」をしていればパソコン教室には通える。そういうことも成り立つようなのですが、一般的には会社設立や事務所を借りるという手続きが「本格的な準備の開始」=「失業状態の解消」ということなので、いちおう、がっぽがっぽはムリでも、それなりの利益が出ることを目指して会社を設立する以上は、きちんとハローワークに申し出て、失業手当の受給を停止させるべきなのでしょう。「会社を設立しても、本格的な準備を始めない」というような姿勢なら、「そんな会社、止めてしまえ」ということになると思います。

 

 ただ、私が目指しているのは免許事業であり、免許取得には会社設立が必要なのです。できれば、会社を設立して免許取得手続きを早く進めたい。そう思っているのですが、その一方で、取引先の候補からは取引をすることへのちゃんとした受諾はもらえていません。だから、会社を設立して免許取得手続きを進めたとしても業の成立が保証されているわけではなく、取引先候補の受諾があって初めて業としての成立見込みが立つのです。会社を設立しても、就職の可能性を100%否定できる状態にはならないのです。あーっ。

 

 今回のやりとりは就職支援の窓口でした。この窓口の上司は「職業訓練の受講認定は失業手当の給付認定より、少しゆるいんです。だから、職業訓練を受けられても、失業手当をもらえないという判断もありうる」旨を話し、認定窓口で聞くよう促されました。

 

 「どこまでややこしいねん」。そう思いつつ、認定窓口の若い男性職員の顔を思い出して、聞きにいくのをやめました。あー、とりあえず、取引受諾100%の状況を早く作らねば。。

【退職手続き14】国民年金の免除申請が却下、「昭和の女」にやられた。

 日本年金機構からの郵便物が届いていました。いやな予感がして開封したら、4分の3免除を申請し直した際の書類がそのまま同封されていました。申請が受理されていたのなら返ってくるはずのない申請書が手元に戻ってきたということは、不受理だったのか。。書類をしっかり読み、「通信欄」に記された記述によってようやく事態をのみ込めました。

 

 そこには「配偶者の前年所得により前回申請で決定した『4分の3免除は却下』と同様の結果となるため、申請書はお返しさせていただきます」とありました。

 

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 「昭和の女」にやられた、と思いました。

  「昭和の女」というのは、「専業主婦が当たり前といいう意識を捨てられない、頭の固い昭和生まれの女」という意味合いで使っており、6月21日に「妻の年金と健保への対応に、『昭和の女』という言葉が浮かんだ。」というタイトルで書いていますので、よければご覧ください。blog.hatena.ne.jp

 かいつまんでこれまでの経過を記します。私の妻は私が会社を辞めるかもしれないということを察して、2年ほど前から本格的に働き始め、今は中小企業の正社員事務員として厚生年金にも健康保険にも加入しています。だから、無職の私が妻の扶養家族になれば、私は厚生年金の第三号被保険者にも、健保の加入者にもなれるはずなのです。しかし、「昭和の女」である妻は無職の旦那という存在が許せず、加入させてくれません。だから、私は国民年金に加入し、国民健康保険にも加入しなければならないのです。

 「いくら払わされるのか」

 これは今後の生活設計において非常に重要なポイントでしたが、月5万円前後かかるかもしれないと思っていた国保料は1.6万円程度で、月1.6万円の国民年金保険料は4分の3免除で月4000円と、思いのほか安く済んだのです。

 

 だから、「許容範囲」として過ごしてきたのですが、今回の仕打ちです。

 

 「妻の前年所得により、免除は認められない」

 

 妻の所得による恩恵は私自身、ほとんど受けていません。私の家ではこれまで 私が妻に毎月定額のお金を渡すということで家計を成り立たせていました。妻はときおりバイトをしていましたが、「大黒柱は男」という観念と、私の方がうまくお金を管理できるという観念が双方にあったから、この方式が続いたのだと思います。2カ月ほど前の交渉で、妻に渡す金額を減らすことはできましたが、無職の今もそれなりの金額を毎月、妻に渡しています。

 それもこれも、社会保険料が月額2万円程度で済んでいたからです。今回、国民年金保険料の支払額が月額4000円から1.6万円に増えることになりました。たぶん、国民健康保険料は月額1.6万円のままで大丈夫だと思うのですが、それでも月額3.2万円の固定費が発生することになりました。

 失業からほぼ半年。「走り出した」とはいえ、まだまだ稼げるめどはついていません。なのに、妻の扶養家族になれれば負担ゼロで済むはずの社会保険料を毎月3.2万円も払わなくてはならない。

 子育てをしっかりやってくれた「昭和の女」には感謝するところもありますが、「この野郎」と思わぬでもありません。再び、扶養家族に入れてもらえるよう交渉する手もありますが、まず間違いなく「取り付く島もない」でしょう。

 だから、この話の後日談はたぶん、ないでしょう。「社会保険料3.2万円、扶養家族に入れば一切不要」。当事者としては腹立たしいというか、理不尽な思いもする話なのですが、客観的にみれば、「被扶養者って優遇されてるのね」と思います。

 

 

 

 

 

【再就職手続き22】パソコン教室、悲喜こもごも。

 受講期間4カ月のパソコン教室も折り返し地点をすでに過ぎ、11月15日の修了式まで残すところ1カ月ちよっと。そのことに今気づいて、割と驚いています。そのパソコン教室は生徒10人でスタートしたのですが、つい最近、30前後の女性が退校となりました。

 パソコン教室では「8割以上の出席が見込めなくなったときは退校処分とする」との決まりがあり、8割以上の出席が見込みがなくなったためです。彼女はだんなさんが美容系の仕事をしているという話でしたので、その仕事が忙しいのかと思いながら、その話を聞いていました。また、身重だったことも影響したのかと想像していたのですが、府立高校を退職されたばかりの男性が「お父さんが大病を患っていたでしょ」と言いました。

 確かに、自己紹介のなかで、彼女はそういう話をしていました。仕事と身重の体と親の看病と。この3つだけでも大変なのに、それでも研鑽に務めていた彼女の姿勢には頭が下がります。

 

 最近、もう1人の同じ年ごろの女性も欠席しがちです。もともと腰が悪く、病院通いもしているようなのですが、それだけでもないような雰囲気も見受けられました。今日も午後から急に欠席となってしまいました。問題がないときは2人ともきちんと教室に通い、ついうたたねをしてしまう私なんかよりよっぽどまじめに授業を受けていただけに、残念に思います。

 

 一方で、私のような能天気もいれば、すでに知り合いの会社から内々定をもらいながら、就職時期を遅らせてもらって教室に通っている男性もいます。ある男性は、奥さんが不動産管理会社を営み、その所有不動産のwebサイトを作れたことから、「これで目標は達成した」と、喜んでいます。「ここ、求職者のための教室ですよ」と言うと、「いやなこと、言うわ」と言って受け流されました。私にも彼と同じような目的がないとはいえないので、えらそうなことは言えません。概して、男の方が適当なのかしもれません。

 

 そんななか、穏やかな性格の40代の女性が朝の3分間スピーチで話した内容が記憶に残っています。「あなたの性格を色で現すと何色ですか」というテーマに沿った話だったのですが、「激しい色の赤」と言ったのです。いつもにこやかで、怒るところなんか想像できない女性がなぜ、「赤」と言ったのか。

 今19歳になる1人娘がまだ小さい時にだんなさんが亡くなって以降、「母子家庭」という弱みに付け込んだようなひどい対応を何度も受け、そのたびに戦ってきたからだというのです。

 極めつけは医療過誤に対する戦い。時間の都合上、詳しい話はありませんでしたが、医療機関に対し、敢然と戦いを挑み、おそらく徒手空拳のような形で始めるしかなかったと思うのですが、書面も自分で作って、おそらく勝ったのです。

 

 女性を怒らせてはいけない。再就職手続きとはなんの関係もありませんが、そう思う次第です。

 

 

 

【失業5ヵ月】走り出す。

 失業状態を長く続けていると、だんだんと働きたくなってくる。失業状態に飽きてくる。そんな話を聞いたことがあるのですが、失業から5カ月、そんな気持ちがわかってきました。

 パソコン教室の授業内容がフォトショップイラストレーターという、あまり興味を持てないソフトの習得だからかもしれません。uber eatsはとりあえず飽きたし、実入りが少なくなったしでやってません。web系のライティングのバイトがあまり来ないという事情もあるかもしれませんが、いっぱい来ていたとしてもは今までとは違う世界のライティングを経験するという意味では重要でしたが、一生懸命にやりたい仕事でも、おもしろいと思える仕事でもありませんでした。

 

 ライティングに関しては一生懸命やっていれば、それなりにおもしろい仕事も見つけられたり、一定程度の収入に結びついたりする可能性がないわけではないと思います。しかし、まだその可能性に向けて一生懸命にやろうという気持ちになれないのです。

 

 では、なぜ、「走り出す」というタイトルなのかというと、「おもしろい」と思えることが事業として現実味を帯びてきたからです。「このままでいいのか」という気持ちが徐々に膨らみつつあるということも、「走り出す」ことを後押ししていると思います。

 

 仕事を辞めることを決めた2月ごろから本格的にハンガリーへの長期旅行を計画し、5月末から17泊の旅行をしました。目的の第一は「ヨーロッパの国を感じる」ことでしたが、商材探しの旅でもありました。ただ、商材はみつけたものの、事業化なんて簡単ではない。当たり前です。ですが、大学のゼミ仲間が気に入ってくれたのです。

 それも2人。2人とも仕事はしているけど、自分の時間を自ら差配できる自由を持っています。私だけでは足りない能力とか、ノウハウとか、人脈とかが3人寄ればなんとやらーで、ほぼカバーできるような気もするのです。そして、何より、ハンガリーで知り合ったブダペスト在住の同年配の日本人男性も、割と時間を自ら差配できる自由をもっていて、協力してくれるのです。まだほんの少しの協力ですが、ほんの少しの協力で事業の可能性がぐんと高まりました。とてもありがたいことです。

 

 だから、やるしかない、走るしかない。この1、2週間、頭の中は事業のことでいっぱいとなり、今できること、しないといけないこと、考えないといけないことーをやり始めています。

 

 この事業、たぶんうまくいっても私の実入りは当面は年300万円。事業が広がれば、500万円とか、「さらに上も」なんてことも考えられなくはないです。でも、そうなると、この仕事にからめとられてしまいます。

 もちろん、それはありがたいことです。でも、スタンス的には事業を無理に大きく、忙しくすることより、利益は大きくなくとも安全、着実に利益が出て、手間暇もそれほどかからない方がいいのです。阿呆な感じの皮算用ですが、通常の業務としてこの事業に従事するのは週に2、3日程度にし、ライティングの仕事をしたり、たまにはuber eatsの仕事で体に活を入れたり、この事業から派生する新たな事業を夢想したり。そんなことができたら、楽しいなーと思うのです。

 

 10.1で失業6カ月目に突入しました。失業手当を受給できる人生最後のモラトリアム期間もあと5カ月ほど。残日数計は毎日、着実に減っていきますが、この段階でこんな夢を本格的に追えるのは幸せなことです。パソコン教室に通いつつも事業化に向けたあれこれをスピードアップさせ、「やっぱり無理」となっても方向転換できるようにしないとけません。でも、まだ方向転換できるのならいいかもしれません。一番怖いのは、「事業すれども儲からず」状態。考えなければ、考えなければ、考えなければ・・・

 

【再就職手続き21】名刺をつくる。100枚1000円。。

 名刺を作りました。会社以外の名刺を作ったのは2回目です。

 1回目は数年前。夢想していた事業を行う前提で、気分を盛り上げるために作ってみました。100枚で1000円。作ってみて「詐欺れる」と思いました。

 「名刺って、こんな簡単にできるんだ」とも思いました、世の中には名刺をつくる会社がいくらでもあって、名刺作成自販機も見たことがあるような気がするので、名刺が簡単に作れるというのは、当たり前といえば当たり前です。でも、この時に心の中に生じた感覚は、初めて手に取った1箱のタバコがとても軽く感じた30年以上前の記憶がよみがえるものでした。

 つまり、「世間的に良くないとされているから、良くない」と思っていることには、「越えてはいけない一線」ような線が引かれ、そのことによって「重み」までが加わってしまう。1箱のたばこの軽さを思い出し、そんなことを考えてしまうのですが、名刺も似たような感じだったのです。

 

 今回は、実際上の必要性から作りました。ライティングの仕事などで人と会う機会があって相手から名刺をいただいたのに、渡す名刺がなかったのです。無職だから仕方がないと思い、相手の方にも納得はしていただけたのですが、結果として、自分の名前と電話番号とメールアドレスを書いて渡すということがありました。

 ご迷惑をお掛けしたと思いました。だから、2回目の名刺作成となったのですが、肩書をどうするかで悩みました。フリーランスフリーライターとか、ライティングの仕事を少しぐらいはしているのですから、そういう肩書にしてもいいとは思いました。でも、本業ではありません。本気で取り組む状況にもなってない、腰が定まってない。だから、どうも、この肩書は違うと思いました。

 そこで、ネットを検索してみました。やはり、名刺をどうするかは、会社を辞めた人たちに共通する悩みのようで、いくつも関連サイトが出てきました。そのうちの1つから、「無職・フリーター用名刺」の販売をしている会社を知りました。

 テンプレートとして20種類読用意されており、肩書はニート」や「無職」「フリーター」。その肩書と名前のうえに「代表戸締役」「無職上等」「仕事ください」「玉の輿希望」なんてのが書かれいます。

 20代なら、渡す相手によっては問題ないでしょうが、当たり前ですが50男には無理です。どうしようかと悩んでいるうち、これまでにいただいた名刺を参考にしようと考えました。もちろん、会社員なら社名と肩書がぱちっと立派に書かれます。自営業でも社名があって、代表とかなんとかの肩書があります。

 「参考にならないな」。そう思いながら、ぺらぺらと名刺入れをめくるうち、目についたのが肩書のない名刺でした。 時折参加するある会合には、高齢の方が多いのですが、そういう方も名刺をもっているのです。もちろん、立派に仕事をされている方もいるのですが、年金暮らしの無職の方もおられます。そういう方の名刺には肩書もなにもないのです。住所と名前と電話やメルアドだけ。その名刺を見ながら、「こんなんでも、いいかな」と思えてきました。

 所詮、これという肩書はないのです。名刺をいただいたお相手に、名前や連絡先を書く時間を待たせないための名刺です。「なしでも、いいやん」と思えてきました。 で、2週間ほど前に、名刺をつくってくれる店に行きました。そして、名刺に盛り込む内容として、住所と名前と電話番号とメルアドだけを記しました。マンションの部屋番号を入れるかどうかに悩みましたが、潔く入れました。

 横書きにしてでてきた名刺は、社名のスペースも肩書のスペースも空白で、名前の下に住所と電話番号とメルアドが記されているだけです。100枚1000円(税別)。ありがたいことです。

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 一番手前の一枚以外はすべて表面です。空白部分は通常なら会社名と肩書のある場所。改めて見て、寒々しい思いがします。

 この名刺、渡した人はまだ一人だけです。久しぶりに京都に行った際、京都在勤中になじみとなった店に立ち寄って、「これ、新しい名刺です」と言って大将に渡しました。「まだ無職だから、肩書もなんもなしです」と。いちおう、ありがたく受け取ってはくれました。。。

 

【働き方改革14】副題を「破常識で行こう!」にします。

 「破常識で行こう!」というのも、「なんだかな~」とは思います。それでも、「会社なんかは、もういらない」よりは、まだ「常識」に近づいているというか、このブログに訪れていただいた方に引かれないような気がするので、副題を変えることにしました。そもそも、「会社なんかは、もういらない」なんて強がりつつ、再就職とフリーランスや自営を天秤にかけつつ過ごしているわけですし、ライティングの請負仕事を発注してくれているのも、会社なわけですし。そういう意味で、この副題が破綻していることには気づいていました。

 

 でも、気分的に「会社なんかに頼るか!!」という啖呵でも切っておかないと、先の見えない無職生活、失業生活はなかなかつらいのです。そういう気分もあって、「会社なんかは、もういらない」という非常識な副題で走り出したのですが、失業から4カ月半が過ぎ、変更を決めました。それでも、「破常識」。。非常識な奴です。この前、押しボタン式の赤信号をそのままにして自転車で横断歩道を渡り始めたら、目の前に警察官が出てきて、笛を吹かれました。

 50男なのに、こんな感じでときおり人から注意されます。そんなとき「この常識なしが」、なんて声が頭の中をめぐって、少しめげます。

  だけど、「常識って、そんなにえらいのかっ」という気持ちも頭をもたげます。そいうい風に心の中の声に盾突いてみると、今頃の会社のなかで会社固有に通用している常識はそうとう歪んじゃって、はたからみれば非常識ということが多いようにも思います。野村の常識は非常識、東芝の常識も非常識。NECのリストラも非常識。そう言ってしまえるとも思います。65歳にならないと年金の支給が始まらないのに、定年の60歳以降は給料がた減り、「バイトとさほど変わらない給料」なんて会社も非常識だと思いますし、ここを野放し状態の政府も無策、不作為だと思います。

 

 日本の常識は世界の非常識ということもあります。ハンガリーに行って、日本のサラリーマンがスーツで身を固めていることがハンガリーの非常識であることを知りました。欧州全体、多くのオフィスワーカーはスーツを着ないらしいです。ニュージーランドでもそうらしいです。

 そして、ヨーロッパでは電線地中化は当たり前なので、電柱というものがないそうです。ハンガリーでも建っている柱は街灯用で、街中を走っている電線は、トロリーバス用の架線程度のようでした。電線だらけの日本の景色は異様なようで、「日本人は景色をみるとき、電線がないことにして見ている」なんて指摘をどこかで読んだかしました。ヨーロッパの人は電線だらけの景色が気になって仕方がないようです。もし台風が来ても、空中に電線がないから千葉のように停電が発生することなんてないでしょう。

 

 以上は蛇足でした。

 

 「破常識」です。常識破りという言葉はありますし、破天荒という言葉もありますが、破常識は聞きません。多分、常識は常識として絶対的に正しいというのが日本人の観念のなかにあり、常識なしは「非常識」と処断すれば足りるからでしょう。「非常識」という言葉には、人格まで否定するような印象を受けます。一方で、常識破りという言葉は、いい側面も認めている際に使う言葉だと思います。

 で、「破常識」となると、どうなるのか。よくわかりませんが、ちっぽけな常識にとらわれることなく、発想も行動も自由に行こうという意気込みを込めて「破常識で行こう!」という副題に変更します。ブログの説明文も少し変更します。そのうち常識のうちに小さくまとまっちゃって、「またしても、副題が破綻する」なんてことがあるかもしれませんが、まだ人生最後のモラトリアム期間は、半年ほどあります。

【再就職手続き20】パソコン教室、折り返し。webサイト制作は楽しいし、絶対的に役に立つ!

  最近、パソコン教室が面白くなってきました。これまでの授業は、プログラミングの一種のようなコーディングの仕方を教科書をにらめっこしながら習うーというものでした。プログラミング言語の一種であるhtmlとかcssとかいう存在を知ることから始まり、それぞれの言語がどう機能するかを学んできました。何もかもが初めてで、いちいち壁にぶち当たり、「大丈夫か、おれ」みたいな挫折感も味わったのですが、自ら考えた自らのwebサイトを自ら作るーという作業に入って楽しくなってきました。

 

 創造性のあることは、やはり楽しいです。 

 

 webサイト作りは「ポートフォリオ」を作るためです。私の場合、ポートフォリオと聞いて思い浮かぶのは、資産をどう配分しているか、つまり現金や不動産、株や債権などの資産に占める割合がどうなっているかーを示す円グラフのようなものでしたが、web関係の求職者にとって、つまり私たち生徒にとっての「ポートフォリオ」は自らのスキルを示すための作品集です。今、私たち生徒はこのポートフォリオの制作実習という授業に取り組んでいるのです。

 

 本格的な制作実習が始まる前、講師からはかつての教え子、つまり私たちの半年前とか1年前に受講した生徒たちの作品を示してくれました。「こういうものを作るんですよ」というインプットを行い、生徒たちに自分の作品のアイデアを醸成してもらうためでした。しかし、それら紹介された作品群は、デザイナーの卵たちセンスのいい人たちのものです。「とてもじゃないけど、こんなもの作れない」と思わせるものでした。

 

 しかし、先週末、頭のなかであれこれ考えているうちに、「そうだ、これを作ろう。これしかない」というアイデアがでてきて、火曜日の授業でざっとした絵コンテのようなものを作ると、いい感じにできるように思えてきました。

 

 実は先週、コーディングのテストがありました。筆記テストはほぼできたし、制作実習のテストも自習をしたことからある程度の自信をもっていたのですが、制作実習のテスト中に思いっきり眠たくなって、最後までプログラムを書くことができませんでした。「またしても再テストだ」との思いをもって週末を過ごしていたのですが、なんと筆記は満点、トータル78点で合格でした。

 そんなことで気をよくしたこともあって、火曜日の夜には自宅でwebサイトに使う写真をUSBメモリに取り込み、水曜日の授業に臨みました。「トップページいっぱいに写真を使う」というコンセプトのもと、背景写真をトップページの画面いっぱいに表示するようcssを書き、グーグルクロームに表示させてみると、ばちっと出てきました。自信が深まりました。

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写真はハンガリーに旅行に行った際に撮っていたトカイワインの産地、トカイ村のぶどう畑です。なんか、「これだけで満足」といった感じなのですが、うれしくなってどんどん作ってみました。

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これは、トップページに続く「ハンガリー旅行記」の紹介画面です。

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そして、これは別サイトになる「ハンガリー旅行記」のトップページです。

写真の配置や大きさもわりと自分で設定できました。家に帰ってからさらに進めた結果、それぞれのページに飛ばすためのリンクを張る設定もきちんとできました。

 

こうなると、楽しくなるものです。

 

そして、金曜日の授業ではメディアクエリという、スマホ用の画面設定にも取り組み、ハンバーガーメニューと言われる仕掛けにも取り組みました。ここまで来ると講師のお世話にならざるを得なかったのですが、徐々にいい感じ仕上がっていくのはうれしいものです。

 

 ポートフォリオ作りの残りは、週明けの1日だけ。その後はフォトショップなどの授業があるのですが、教室終了後も講師が1時間だけ残っていてくれているので、居残り作業、居残り質問もできます。なんか、あれもこれも習得してやろうと、ポートフォリオの作品に盛り込んでやろうと思うと、教室が待ち遠しくなります。

 

 なんで、こんなに頑張るのか。「コーディングメインの仕事なんて絶対無理」と思っているのに、なぜ頑張るかというと、この作品がそのまま、ある仕事に生かせる可能性があるからです。生徒の中には、自ら所有する不動産の案内ページを作っている人もいます。考えることは同じです。ポートフォリオの作品を、副業なりなんなりに生かすーという考えです。

 

 ただ、こんな考えばかりだと、「求職しようとしてないやん」という突っ込みが予想されます。確かに、キャリアコンサルティングでは、「このパソコン教室は求職者支援訓練なんですから、就職することが前提。フリーランスとか自営とかを目指すのは趣旨と違います」と言われました。でも、完全にフリーランスとか自営とかでできる自信とスキルがあれば、わざわざ受講しません。自信もスキルもないから受講しているのであって、得たスキルをセールスポイントの1つにして再就職する可能性もあるのです。

 そういう気持ちの一方で、「フリーランスだろうがなんだろうが、働いてない人が働くようになったらいいやん。国としても受講してもらった甲斐があったというものでは」と思うのです。

 そして、実態でいうと、今の生徒10人のうちweb系に行けるのは1人か2人といったところのようです。人生、甘くない。だからこそ、あれやこれやを考えないといけないと思うのです。

 

 7月16日から始まったパソコン教室は11月中旬で終了します。つまり、今が折り返し地点。後半戦に入ったところです。失業者となってからは4カ月半。そろそろ、霧を取り払って、がんと前に進みたい。ポートフォリオの作品がうまく行き始めたことで、気分は前向きです。