50男の働き方改革~なるか、自営の道~

平成最後の31年4月末、30年近く勤めた会社を希望退職。再就職せず、生きることを目指す50男の記録

【自営業20】2週間近い通関手続きを経て、ようやく愛しの貨物を輸入

前回の書き込みで、10月23日に貨物が届くのが「23日から25日に延びた」ということを報告させていただいた後、ばたばたして報告が遅れましたが、10月25日に貨物は届きました!

 

しかし、恐れていた通り、通関手続きにおいて書類の不備を多々指摘されて、通関手続きが終わったのは2週間後近い11月5日でした。

 

父が入院している病院で、担当医師から父の病状を兄弟と一緒に聞いた直後でした。お願いしている通関業者から電話が入り、「食品検疫を通過した」「通関手続きも終わった」「あす朝いちで貨物を取りに行ける」と連絡が入ったのです。

 

通関完了までの2週間は、輸入元が輸出手続きを完了させるまでの間に覚えた「ほんまに輸出してくれるのか?!」という長い期間と同じ気分。「ほんまに通関できるのか」という疑念が心に貼りついて離れませんでした。

 

「ほんの少しのミスで貨物は廃棄処分」-というのが、私の心の中から捨てきれなかった思いでした。廃棄処分されたら150万円前後の損失だけでなく、ものすごく大きな機会損失が生じ、はっきりいって立ち直れなくなるくらいのダメージを受けたことでしょう。

 

税関による書類不備の指摘の中には、「嘘やろ」ということまでありました。「絶対、おかしい」。確実にそう言えることもあり、通関業者にぶーたれたこともありました。

通関業者はおおらかに受け止めて笑い飛ばしてくれたのですが、食品検疫の段階でもいろいろあり、通関できた日の直前にはこの歴戦の通関業者さえ「こんなしんどい通関は初めて」との嘆きの声までが聞かれました。

 

新型コロナの影響で、少なくとも航空貨物は減少しています。そういう状況にあって、税関職員らは「全般的に扱う貨物が少なくなって暇を持て余しているから、普段よりも時間をかけて(ねちねちと)チェックしている」。そんな声が輸入業務に関わったことのある人から聞かれましたので、還暦を超えた通関業者の嘆き節も当然だったのかもしれません。

 

とはいえ、通関手続きは済みました。

 

翌朝にはレンタカーのトラックを借りて一路関空へ。愛しの貨物を目にして、ほっとしました。

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事故にだけは気を付けて、走りました。そして、保管をお願いしていた大阪府内の倉庫に搬入しました。ほっとしました。

 

これでインポーター志願者ではなく、インポーターになれた、と思いました。

これでポーターだけでなく、インポーターにもなれた、と思いました。

 

非常にしんどかったです。

 

大阪でも最低気温が一桁になるなか、いまだに初荷さえ輸入できていなかったら、たぶん「死にたくなっただろうな」と思うのでした。