50男の働き方改革~なるか、自営の道~

平成最後の31年4月末、30年近く勤めた会社を希望退職。再就職せず、生きることを目指す50男の記録

【再就職手続き24】パソコン教室、なみだの修了式

 7月16日から始まったパソコン教室が今日、15日に修了式の日を迎えました。いつも通り、午前9時20分に始業。いつもは生徒が持ち回りで起立、礼の号令をかけますが、最後の日は講師が号令をかけました。「おはようございます」の講師の声に続いて、9人の生徒全員が「おはようございます」。そして、語先後礼に則って30度ほどの礼をしました。

 最初の2月ほどは声が合わなかったり、そもそも号令の間違いがあったりしましたが、この1月ほどは完全に合うようになっていました。そして、今日もきれいに9人の声があいました。不思議なものだと思いまた。

 失業して5カ月半。そのうちの4カ月、平日のほぼ毎日をここに通っていました。2カ月ほど前からは男3人で一緒に昼ご飯を食べるようになり、そのうち女性陣も参加するようになって、1,2週間前からは「みんなでご飯もあと何日」というカウントダウンが始まっていました。

 起立・礼・着席という朝の挨拶、キンコンカーンコーンという鐘の音、出席番号順で始まった出席確認、2人ずつが並ぶ座り方、グループワークで一緒に作品をつくる取り組み。そんなこんなはすべて何十年も前の学校の世界でした。全員が「えーっ、そんなことするんですか」という反応を出した朝の3分間スピーチも、ぎこちないながらに始まったのに、後半からはくじで引いたお題に、時にはぶー垂れながらもそれなりにしゃべるようになっていました。そこにはそれぞれの多くのプライベートな話が含まれていました。

 だから、なんとなく、それぞれの事情を知るようになっていました。

 そして、修了式後にもそれぞれが3分前後のあいさつを行いました。私は「遅刻しないという目標をそれなりに達成できた」というしょうもない感慨と、webサイトづくりの力を一定程度身に着けることができたこと、講師がいろいろ教えてくれたことに感謝を述べて終えましたが、アラサー女性のあいさつは、家族の介護で授業を中座したり、そもそも来れなかったりしたことを話して感謝の言葉を述べました。

 彼女が家族の介護を抱えていることは最初の自己紹介で話していたのですが、それがこれほど大変な状況だったとは知りませんでした。授業の合間の10分休憩中、よく突っ伏して寝ていたので、「いくらなんでも」と思ったことを反省しました。

 残る7人のうち5人はさばさばした感じの話だったのですが、アラフィフの男性と女性は違いました。いろいろ周りに教えてもらったことに感謝の言葉を述べ、そのうちに涙を流し始めたのです。

 私はこの教室に、自分がまったく無知なwebの知識を教えてもらおうと思って参加させてもらいました。おかげさまで、一定程度の知識を得ることができました。それは、この教室に参加しなければ得られなかった知識だと断言でき、貴重な4カ月だったと思っています。だから、「参加してよかった」という感慨は強く持っていますし、わかりやすく、丁寧だった講師への感謝の気持ちもありますが、それが涙腺を緩めることにはまったくつながりませんでした。だから、きょとんとした気持ちで、最初の男性の涙をみたのですが、女性の涙も見て、2人とも純粋でまじめなのだと思いました。

 

  男性は議員秘書を長年勤め、小沢一郎に心酔していたという話をしていました。声がよく、張りもあって、最初は秘書経験のなせる業かと思ったのですが、ながらく剣道をやっていると知り、剣道で鍛えらたれと知りました。この男性は2月ほど前、以前のつてで建設会社の営業職に内定していたのですが、授業には通い続けました。

 女性は営業事務を長らくやっていましたが、転身を図るべくこの教室に通っていました。早くに夫と死別し、今は19歳になる娘を女手一つで育てあげました。その間、母子家庭ということでひどい仕打ちを何度も経験したらしく、優しいお母さんという雰囲気しか醸し出していないにもかかわらず、「あなたの性格を色で現すと」という3分間スピーチのお題で「赤」と答え、ひどい仕打ちにぶちっと来ると「徹底的に戦ってきた」「医療過誤では弁護士もつけないで勝ち抜いた」ということを話して、驚かされました。彼女は20日から介護施設で働くことてが決まっています。

 つまり、2人ともすごく純粋でまじめなのでした。

 

 ずっと会社勤めをしてきた私が仕事でちゃんとつきあった人にはいないタイプだったと思うのです。そして、講師曰く「濃いキャラが多い」というweb制作のこの教室にはほかにもいろんな人がいました。英語とフィリピン語を教えてきたという62歳の男性を筆頭に、週3勤務の仕事を続けながら絵を描き続けている40過ぎの女性、国立大学を出た後、専門学校でイラストを学び、作家活動を始めた20代の女性、府立高校を定年になったばかりの男性、デザイナーとして勤務していた会社を辞めた40代の男性、そしてさっさと希望退職してしまった私。濃いといえば濃い。少なくとも、オフィス事務の教室の生徒よりははるかに濃いのだろうと、私も思いました。

 

 国立大学出の女性はちいさな会社のデザイナーとして18日から就職することになっています。府立高校の男性は、修了式の最中に前日面接を受けた会社から電話が入り、「今、内定が出ました」と。ちょっとカッコよすぎでした。つまり、9人のうち4人が決まったのです。

 修了式の後しばらく教室で時間をつぶし、特段の用事がなかった6人で最後の昼食。その時に、家族の介護が大変なアラサー女性が言いました。「すでに内定を留保させてもらっている会社がある」と。そして、遠距離恋愛の彼氏がいて、「結婚するかも」と。

 すると、絵を描き続けている女性がスマホの画面をみんなに見せました。「私の絵を気に入ってくれて、(某有名作家の)小説の装丁を任されたんです。今、最終のOKが出ました」といって、そのOKの出た装丁を見せてくれたのです。なかなかきれいな装丁でした。

 となると、残るのは62歳のおじさんと、40代のランチ仲間の男と私の3人。62歳のおじさんはあと2,3年で年金が満額支給。自宅は持ち家らしいし、毎日弁当をもたせてくれる奥さんもいるようだし、心配はない。40代のランチ仲間は心配。奥さんは薬剤師というけど、結婚2年目で身ごもっており、前日も口喧嘩が午前3時まで続いたとか。会社勤めのデザイナーとして働いてきたらしいのですが、40歳を超えると見えない年齢による足切りがあるようだし、大変だけど、がんばってほしい。

 で、私は、夢追い人。ランチを終えて一人自宅に向かう道すがら、大沢誉志幸の「そして僕は、途方に暮れる」のメロディーが頭に流れていました。