50男の働き方改革~なるか、自営の道~

平成最後の31年4月末、30年近く勤めた会社を希望退職。再就職せず、生きることを目指す50男の記録

【働き方改革14】副題を「破常識で行こう!」にします。

 「破常識で行こう!」というのも、「なんだかな~」とは思います。それでも、「会社なんかは、もういらない」よりは、まだ「常識」に近づいているというか、このブログに訪れていただいた方に引かれないような気がするので、副題を変えることにしました。そもそも、「会社なんかは、もういらない」なんて強がりつつ、再就職とフリーランスや自営を天秤にかけつつ過ごしているわけですし、ライティングの請負仕事を発注してくれているのも、会社なわけですし。そういう意味で、この副題が破綻していることには気づいていました。

 

 でも、気分的に「会社なんかに頼るか!!」という啖呵でも切っておかないと、先の見えない無職生活、失業生活はなかなかつらいのです。そういう気分もあって、「会社なんかは、もういらない」という非常識な副題で走り出したのですが、失業から4カ月半が過ぎ、変更を決めました。それでも、「破常識」。。非常識な奴です。この前、押しボタン式の赤信号をそのままにして自転車で横断歩道を渡り始めたら、目の前に警察官が出てきて、笛を吹かれました。

 50男なのに、こんな感じでときおり人から注意されます。そんなとき「この常識なしが」、なんて声が頭の中をめぐって、少しめげます。

  だけど、「常識って、そんなにえらいのかっ」という気持ちも頭をもたげます。そいうい風に心の中の声に盾突いてみると、今頃の会社のなかで会社固有に通用している常識はそうとう歪んじゃって、はたからみれば非常識ということが多いようにも思います。野村の常識は非常識、東芝の常識も非常識。NECのリストラも非常識。そう言ってしまえるとも思います。65歳にならないと年金の支給が始まらないのに、定年の60歳以降は給料がた減り、「バイトとさほど変わらない給料」なんて会社も非常識だと思いますし、ここを野放し状態の政府も無策、不作為だと思います。

 

 日本の常識は世界の非常識ということもあります。ハンガリーに行って、日本のサラリーマンがスーツで身を固めていることがハンガリーの非常識であることを知りました。欧州全体、多くのオフィスワーカーはスーツを着ないらしいです。ニュージーランドでもそうらしいです。

 そして、ヨーロッパでは電線地中化は当たり前なので、電柱というものがないそうです。ハンガリーでも建っている柱は街灯用で、街中を走っている電線は、トロリーバス用の架線程度のようでした。電線だらけの日本の景色は異様なようで、「日本人は景色をみるとき、電線がないことにして見ている」なんて指摘をどこかで読んだかしました。ヨーロッパの人は電線だらけの景色が気になって仕方がないようです。もし台風が来ても、空中に電線がないから千葉のように停電が発生することなんてないでしょう。

 

 以上は蛇足でした。

 

 「破常識」です。常識破りという言葉はありますし、破天荒という言葉もありますが、破常識は聞きません。多分、常識は常識として絶対的に正しいというのが日本人の観念のなかにあり、常識なしは「非常識」と処断すれば足りるからでしょう。「非常識」という言葉には、人格まで否定するような印象を受けます。一方で、常識破りという言葉は、いい側面も認めている際に使う言葉だと思います。

 で、「破常識」となると、どうなるのか。よくわかりませんが、ちっぽけな常識にとらわれることなく、発想も行動も自由に行こうという意気込みを込めて「破常識で行こう!」という副題に変更します。ブログの説明文も少し変更します。そのうち常識のうちに小さくまとまっちゃって、「またしても、副題が破綻する」なんてことがあるかもしれませんが、まだ人生最後のモラトリアム期間は、半年ほどあります。