50男の働き方改革~なるか、自営の道~

平成最後の31年4月末、30年近く勤めた会社を希望退職。再就職せず、生きることを目指す50男の記録

【失業3カ月】やれることはやっているものの。。ケセラセラ

 辞める前、「これからどうしようか」と思う中て頭に浮かんできたのは、「立派なプーになる」という、目標でした。ふざけた感じに思えると思いますが、前の会社のある人に「これから、どうするんですか」と問われた際、試みにこの言葉を使って「立派なプーを目指してみようかな」と話すと、割とすんなり納得してもらえました。そして、この人のラインから、ライティングの仕事をもらえるようになり、週に2万円前後の仕事を請け負っています。

 

 私が「立派なプーという言葉は使えるのではないか」と思ったのは、「能力と信頼性と自由な時間の3拍子そろった人間は周りにほとんどいない」という現実を発見したからです。

 

 何年も前から、「独立する」ということを夢想してました。そこでぶつかったのが、会社を辞めて、自分で仕事を始めるとした場合、仲間をどうするか-という壁でした。もちろん、自分1人で完結できたり、手に余る部分をすべて外注で間に合わすことができればいいのでしょうが、外注ではコスト高になるでしょうし、そう簡単に外注できない仕事もあります。そうなった場合、コストをかけないためには、どうしても知り合いにお願いしないといけない。

 

 周りを見渡してみて、「能力のある人はいるか」となると、います。「信頼できる人は」となっても、います。「能力もあって、信頼できる人も」、もちろんいます。でも、こういう人はたいてい忙しく働いています。だから、「能力があって、信頼もできて、時間もあって、という三拍子そろった人は周りにほとんどいない」というのが、私の結論でした。

 この結論に至ってからしばらくして、「この会社、辞めるか」となったのですが、その時にこの結論を少し展開させた考えが頭に浮かびました。「そうだ、自分が誰かにとっての三拍子揃った人間になればいいんだ」と。もちろん、自分にすごい能力があるなんてことは思ってませんし、「信頼」と言っても、金銭の絡む信頼性というのは会社員時代に問われる信頼性とは少し質が違うであろうこともわかっています。でも、少なくとも30年近く、書くことを生業にして働いてきた実績はあります。これをどう評価するかは、評価する人によりけりでしょうが、「ヒマにしてたら、いつかはお声がかりがあるんじゃなかろうか」というのが私の推論でした。

 そして、「立派なプー」というのは、この「三拍子そろった人間になる」という意味の、少しふざけた感じだけど、なんとなくわかってもらいやすいだろうと思えたスローガンなのです。

 

 といっても、「立派なプーは割としんどい」というのが結論です。

 そして、「立派なプーをしていても、3カ月ではなかなか明確な展望が見えてこない」というのが現状です。

 

 すでにハンガリーのところで書いたと思いますが、会社を辞めたことを後悔しないための方策として、「会社勤めをしていては絶対にできないことをする」という目標を立て、17泊のハンガリー旅行に行きました。「商材を探す」「自転車でハンガリーの地を走る」という2つの目標も立て、それなりに達成できたと思っています。

 そして、退職に伴う手続きをこなし、uber eatsもやって、ライティングもちゃんとこなし、7月16日からはパソコン教室にも通っています。商材の展開についてもちょこちょこ動き、書く仕事については新たなルートでの話もあったりして、次につなげていこうとしています。それと、体のオーバーホール。別に辞めたから始めたわけではありませんが、年齢的に部分的なガタが出始めているので、そのメンテが必要なのです。家族とのなんだかんだもあります。このブログも始めました。

 

 というわけで、「わりと」いうべきか、それなりに忙しいのです。

 

 「uberなんて、やめたらいいやん」とか「商材探しって、何それ」みたいな突っ込みは理解できますが、いまの時間は「人生最後のモラトリアム」だと思うのです。せっかくのモラトリアムだから、「なんやかんや、やりたい」ということです。

 

 で、令和とともにやってきた、なんやかんややっての失業人生がきょう31日をもってまる3カ月となります。有休期間を入れると、働かなくなって3カ月以上です。

 

 ですが、今のところ、方向性は何も定まっていません。

 

 ワードやエクセルはそこそこ使いこなせるようになりつつありますし、たぶん、あと1、2週間でパワポもそれなりに使えるようになるでしょう。イラストレーターの基礎も、プログラミングの一種、コーディングの基礎も、webの基礎についても11月半ばまで教室に通い続ければそこそこの知識を得られるでしょう。でも、その能力だけでは就職しても大した給料にならないでしょうし、勤め先によってはハードな勤務になるでしょう。だから、まったく違う仕事、再就職斡旋会社の人が紹介してくれたような立体駐車場の点検係を適当にやりながら、ライティングの仕事を副業としてやるというのも一つの手かなと思っています。でも、これは、長続きするようには思えません。

 かといって、ライティングその他もろもろのフリーランス的仕事で、どれだけ稼げるかも、見えてません。フリーの仕事は「一度大きなミスをすれば、簡単に切られる」でしょうから、かりに今の段階で「月にこれくらい稼げる」ことがみえていても、その収入は何年にもわたって保証されるものではないでしょう。

 

 結局、天秤の皿に複数の「将来の働き方」を置いてみても、「将来の働き方」の中身が定まらないため、比べようがないのです。結局、ケセラセラ。「なるようになる」というのが今のスタンスです。

 

 ただ、下のような図は頭に入れて、次を考えたいとは思っています。

 

 

f:id:takashi196608:20190731180744j:plain

 汚い手書きですが・・・

 フリーや自営でやるのなら、60歳までは これまでと同じように仕事中心でがんばる。しかし、再就職の場合は仕事の比重を減らし、なるべく仕事以外にやりがいをみつけようかなと。

 そう、この手書きに、前の会社を辞めなかった場合の想像図を描き忘れました。たぶん、55歳を超えると仕事の割合は減り、60歳を過ぎるともっとその割合は減ります。でも、生活の中心が仕事であることに変化はなく、それなのに、給料は仕事の割合以上に激減する-というものです。

 そして、たぶん、仕事以外のやりがいを見つけられないまま、仕事が減るとともに、全体の円の大きさも小さくなっていきそうに思えます。モラトリアムの今、仕事以外のやりがいをなるべくふくらまそうとしていますので、仮に収入が減っても、それなりにやりがい、生きがいを見いだせて、それなりの円の大きさを維持できるのではないか-という気もしています。

 だから、やっぱり、今のところは、辞めたことに後悔はありません。